サイレントチャリおじさんに気をつけろ

・都会人にはわからないか、このレベルの話は

 タイトルの意味が全く分からなかった人は、おそらく首都圏にお住まいか、そうでなくても大都市圏の人口密集地にお住まいの方かもしれませんね。

 こういうことかな?と推測できた方、おめでとうございます。

 あなたは田舎者です。

 と言っても、それほど難しいものではありません、サイレントチャリおじさん。

・例えばこんな話

 田舎者の皆さんも一度はご経験があるでしょう。昼間、白線一本で車道と一応隔てられている道路の端を歩いているあなた。この後の予定か、右手の買い物袋の重さか、はたまた空の青さか。そんなことに思いをはせながら歩むあなたの脇を通り抜ける、一陣の黒い風。


そう。

サイレントチャリおじさんです。


あなたは確実に一瞬戸惑うはずです。

アスファルトとタイヤが接する音、ブレーキ音、車輪の主軸で回転しているなんか知らん蛍光色のたわしみたいな輪っかのこすれる音。それら一切を周囲に漏らさないまま、成人男性が操る自転車らしい、軽快なスピードで駆け抜けていく自転車との遭遇は驚愕以外の何物でもありません。

 場合によっては恐怖すら覚えるでしょう。

 当然です。音もなく背後を取られ、いきなり走り抜けられてはびっくりするに決まっています。ゲームならばバックスタブを取られて致命攻撃、you died。恐ろしいことです。

 そして往々にして、サイレントチャリおじさんは歩行者との間隔を空けません。常にぎりぎりで、何なら黒い化繊のジャンパーはあなたの方を叩いて通り過ぎることも珍しくない。サイレントチャリおじさんに安全マージンという考えはないのです。

 古来より、日本には「かまいたち」という存在がいるといわれてきました。曰く、高速で移動し歩行者とすれ違い、その瞬間鎌の生えた腕で歩行者の体を切り裂く妖怪の類です。

 啓蒙の時代を経た現代日本において、「かまいたち」はごく局所的な高速の空気の渦によって巻きあげられた小石や砂利が人にぶつかり、その肌を切り裂く現象だと科学的に解明されています。

 しかし、現代にも現象としての「かまいたち」は存在しています。

 人と至近距離で高速にすれ違い、僅かに接触して去っていく……。

 そう、サイレントチャリおじさんです。

 外力によってわずかに揺れる鞄を肩で感じながら追い抜かれたあなたの顔から、数瞬の後に冷汗が噴き出ることは想像に難くない。

 そしてあなたは呻くでしょう。今しがたにじみ出た冷や汗よりも微かに、しかし今しがた去来した様々な感情と同じぐらい鮮明に。

「サイレントチャリおじさんだ……」と。

それほどまでに驚異的な存在なのです。サイレントチャリおじさんというものは。

・発生条件

 サイレントチャリおじさんの発生には2つの条件があります。

 まず大前提として、自転車以外の環境音がそれなりに発生している状況でなければなりません。完全に無音なサイレントチャリおじさんは存在しないのです。

 もう一つが、死角。

 正面切ってのサイレントチャリおじさんはあり得ません。

 意外なことに、自分自身が歩いていようが自転車に乗っていようが、サイレントチャリおじさんの発生には大きな影響は生まれないのです。むしろ自らの自転車の音によって、発生確率を上げてしまう可能性すらあります。

 また、特筆すべきは「夜でも発生する可能性が大いにある」という点です。

 「何故だ、自転車のライトで気付くだろう」と思われた方もいるかもしれません。確かにそれは現在の学会でもいまだ出る反対意見です。しかし、それは特定条件下で打ち消されてしまう情報なのです。

 賢明な読者諸兄はもう、お分かりですね?

 そう。その特定条件下とは、「すれ違う車のヘッドライト」です。対向してやってくる車が夜の為ヘッドライトを点灯していた場合、自転車のライトよりもはるかに明るい車のライトによって背後からの光は塗りつぶされ、結果的に視覚的情報は遮断されてしまうのです。これが対向車ではなく、後ろから追い抜いていく車でも事情は大きく変わりません。ヘッドライトが自転車のライトを覆い隠してしまうという事実はこゆるぎもしない。

 上記条件が複合的に絡み合い、サイレントチャリおじさんは発生するのです。

 では、これらの条件を容易に満たしやすい場所は何処か?

 

 田舎です。

 

・誰が悪いわけでもない


 自転車以外の環境音がそれなりに発生している→田舎は虫・カエル・轟音バイク鳴らすDQNなどの昆虫や動物が多く発生し、意外とうるさいです。「都会の喧騒を離れて静かな田舎でスローライフ」というのは幻想です。田舎はうるさい。

 死角・夜の場合は車のヘッドライト→田舎の道路は基本的に狭く、片側二車線あればその市町村有数の幹線道路というところも少なくありません。ほとんどは片側一車線、対向不可の地道も掃いて捨てるほどあります。

 必然的に車と人との距離が近く、右側は車がビュンビュン走っているのにガードレールもなく、歩行者は半分茂みに足を突っ込みながら歩いている山道も多い。そんなカオスな状態では歩行者の意識も散漫になり、注意力が落ちることで心理的にも隙が生まれます。

 サイレントチャリおじさんはそこを突いてくる。

 サイレントチャリおじさんに安全マージンという考えはありません。それはなぜか?そんなものを取れるほど田舎の道は余裕がないからです。

 普段はくしゃみの音も狼の遠吠えがごとし、ドスンドスンと地面を歩き、一挙一動にあか抜けない効果音が付くはずのおじさんも、ひとたび自転車に乗れば冬の日暮れよりも疾く忍び寄る無音の怪異に早変わりします。

 私たちにできることは、せいぜい一日一日を精いっぱい生きること、そして自分の視覚である後ろに意識を集中させて歩き、おじさんの気配を掴むことです。

 ですが、仮におじさんの気配を察知できたとしても安易に首を曲げて振り返ってはいけません。

 サイレントチャリおじさんの速度は成人男性の筋力によってかなり高速です。さらに運の悪いことに、最近の研究で、おじさんの88パーセントが着用している野球帽とジャンパーには気流を整える効果があり、F1マシンの60パーセントほどのダウンフォースをその身に宿しつつ走行しているとの結果が出ています。

 その状態のサイレントチャリおじさん対して首を曲げたが最後、あなたの鼻は音もなくちぎれ飛ぶことでしょう。

 「サイレントチャリおじさんは気付けたけど、それにしても今日は鼻水がよく出るわね花粉症かしら」なんて思いながら家にたどり着き、鏡の前であなたは変わり果てた自分の顔を見、鼻水だと思っていた赤黒い液体の一滴が洗面台に垂れるよりも早く気付いて、呻くのです。

「サイレントチャリおじさんだ……」と。

  そのあとの一生を間抜けな顔で過ごしたくなければ、サイレントチャリおじさんの気配を感じた瞬間、素早く静かに距離を取りましょう。できる限りで構いません。

 この記事を読んだ田舎者の皆様に、幸多からんことを願いつつ、文章の締めとさせていただきます。





なんだこれ。



 


 



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