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ハワイ島とこの町のどこかは

 生まれ育ちの東京西部からさらに西へ住まいを移り一年、また夏を迎えた。
 さっき、川沿いの側道を横断するトカゲに
はちあわせた。その時から何となく自転車走らせながらかんがえたこと。例年の夏なら文章を書くよりも読書が慣習だ。だけど今日のことは、ちょっと書き留めてみたくなった。

この町ハワイ島となんか共通点がある

 ハワイ島といえば、キラウエア火山がそびえている。この町からは富士山が展望できる。
そう思ったら案外容易く、
この田舎道の花や草木の威勢や
デコボコのコンクリート道が、
あの島で、咲き誇るような鮮やかで大きな草花も、溶岩跡の表情も思い起こせる。生活の中でシンボル山の存在を感じている、ただそれだけのことが随所にエネルギーを感じてくる。それは私にはまだ不思議な気が少ししてしまう。頭で考えるからだ。だんだん感覚で受け入れるのが馴染んできている。

ハワイ島は海に囲まれてるが、
ここのエリアは二つの川に挟まれる。

今週みたいな雨の降りやすい季節は
空模様が変わりやすい。
曇り空と思って、20分も自転車を漕げば途中から雨雲に当たり、着く頃またやんでいるのがしばしばある。
雲の合間の太陽はきれいだ。

雨にうたれると、
今まで、夏休みのおばあちゃん家・岡山の夕立を回想したけれど
何かの拍子で、思い出せる土地がいくつもあるのは、幸せとか感謝の 私なりの形かな。と考える。
日本文化的には、お盆休みやご先祖様を想うような、或いは礼拝のような。そういう時の、気分と似ている。

地球のあちこちで
どこかの国の知らない人たちが。
トカゲも山草も空も…過去もこれからも、
皆んなそんなふうなことをしてる風景をイメージする。

駐輪場に着き、さいごの共通点を思った。

この町では各々の生活に、アートが馴染んでるかんじを、息を吸う様に感じられる。

その表現は実に様々で、広く、深い。
都会や下町のように人が集まる街ではない。
それであっても、集まれる場、人の通る場には発表する場として運営が整っていて
それは、はっきり本当に
素晴らしいことだって言いたい。
日進月歩にこの町の人が繋いできた
良い形だなと思う。

暮らしながらに、向き合うアートは
絵であったり、彫塑や工芸、
絵手紙、イラストレーション、
手芸。踊り、楽器、歌。古今東西の…

手工芸はすごい。織物、陶芸、染色、落款、刺繍。柄や糸にも地域性があり流儀があり。
そういうものを一日の中のいくらかの時間、ただ見つめて紡いでいること。

ハワイ島の旅の時、
色鉛筆作家のアーティストに出会って
トロピカルカラーのカリスマカラー色鉛筆を知った。
あの旅行の時に就職先は決まってたっけ。
きっと決まっていたんだな。
私はその後からずっと、この色鉛筆を扱う小売店に勤めて、店のお客さんが住む町に移り住んだ。

23区内に在るのに、その中で暮らしてた時よりも、
今地元で会う人皆、店を知り親しんでいるのには、期待してなかった気持ちの半分で驚き、もう半分では期待どおりとも言える。
由縁を言い出したら幾らもあるが、感性は言葉よりずっと早く、多くの点に気づいている。
これは40歳の今は確信しつつある。

ハワイでは22歳だったし、自分を見るより目に映る世界を全身で感銘を感じてた季節だった。
海の色、
顔料の色、
陽の変わる色。
彼女の描くウミガメの絵は、脳裏で思い出せるから。
人懐こいトカゲがテーブルの上に来て、
色鉛筆で描けるような
オレンジと黄緑色をしていた。
この町で鳴くアブラゼミの眼みたいに
真っ黒でまん丸の目だった。

今暮らしの中でも、空を見上げて
水を眺め触れて、過ごしてる。
土に触れて葉の中から昆虫に出会って…
畑の美味しい野菜を食べて…
ハワイ島の水とパイナップル、
おいしかったなと想うんだ。



noteに残そうと思ったのは、ここまで。
何となく公開する前に一晩寝かす。
そのために、日付けが変わり
今朝のTVでハワイ、マウイ島の山火事の報道を見ることになった。

私はふだん、TVを見ないので
昨日のnoteは報道を知らずに書いていた。
同時の出来事で、印象に刻まれるが
それによってnoteの内容は変わることはない。と考えた。それなので、
このまま公開することにした。

何かを想うことは祈ることに
似てるよね。

私は昨日思ったとおりに、
色鉛筆でトカゲの絵を描いてみよう。

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