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クリソー580

 居心地の良いZIKKAで居心地の良い家着に身を包み、寝心地の良いカリモクのソファに腰を深く下ろしてPS4のコントローラーを持つ。対馬に攻め込んできた蒙古から民を守ったり、華麗な拳捌きで王者Conor McGregorをマットに沈めたり沈められたりしていると、つい自分も何か事を成しているような錯覚に陥る。これはいかん、ゲームに興じるのがいかんわけではなく、タイミングと身分的にいかん。
 そうして何かしなければという浅はかで漠然とした気持ちに駆られて立ち上がり、パジャマのTシャツの上に薄い背広をはおりノートPCを裸で持ち徒歩2分のチェーンの喫茶店へ赴く。不本意ながら求職中であったり、夕方に起きてしまった休日最終日などに、“何か”を追い求めて喫茶店に行ってみたり訳もなく街に繰り出したりしてみることがあるが、この行動が根本的解決になった試しはない。大抵は頓珍漢な条件で求人検索をして深いため息をついてみたり、“何か”あるかもしれんと思って居酒屋に立ち寄って普通に1人で2杯飲んで己の純粋でない外向衝動を眩ましてちょうど良い気分で帰宅するといった不毛な時間を過ごして終わるのだ。

 不毛な時間になること請け合いで喫茶店に入店し大容量コーヒーを注文しようかというタイミングで店員さんの後ろに見覚えのある小坊主がいるのを確認。末弟が“何か”を察して家からつけてきていたのであった。店内まで入ってきたのではしようがないので向かいに座らせるとモガ・モボよろしく慣れた口ぶりでメロンクリームソーダを注文する。8歳の弟が察した“何か”はメロンクリームソーダのことで、無職の兄の求めている“何か”よりも圧倒的に明瞭であった。ほどなくして長靴型のガラスコップに入ったメロンクリームソーダが運ばれてきた。弟はコップの淵の奥に長兄の姿を見据えつつメロンソーダに浮かんだ氷山の一角の掘削作業に専念し全て崩し切ったのち、警告色のような色の炭酸甘水を飲み干し、手を口に当て控えめながらも重厚なゲップをした。行儀の良し悪しは別として食べ物に対して非常に真摯に向き合っている。PC叩きながら喉を潤すためだけにアイスコーヒーを吸っているのが恥ずかしくなるくらいに。そして彼は僕に「帰っていい?」と聞き、了承すると上着を羽織り、気持ちのいいご馳走様でしたを述べて颯爽と帰っていった。百点。
 後に残されたのは店員同士の「かわいかったね〜」などという会話と、クリソー-¥580と書かれた伝票のみであった。長兄敗北。

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