無敵の絵の描き方

僕は趣味人として、うだつの上がらない、くだらない、とてもくだらない絵を描いてきました。

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こんな絵ばかりです。ホントにこんな絵ばかり。20年近く。普通の人なら描く気が失せます。でもそれを続けたのは「趣味で絵を描く」という趣味があったからです。

趣味なのか仕事なのか

仕事で書く絵と趣味で書く絵を違います 。割とここは絵描きにとって「壁」です。金儲けになる絵が描ける人と、僕みたいに金儲けにはならない絵が描ける人に分かれます。ここで生き方がまず分岐されます。仕事になる人は仕事になる絵を極めていきます。それ以外の人は諦めます。普通は。諦めがつかない人は趣味で絵を描くことになっていくのです。

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趣味としての拠り所

さて、あなたはここまで読んでいるという事は時代のトレンド時間的タイミングを逸している人なのでしょう。だけど、なんとなく絵を描くことをやめられないのは何か自分の中に「それ」を見出しているからやめられないのです。

「それ」とはなんですか?ここが「趣味で絵を描く」意味が存在しているのです。

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惰性で絵を描いてしまう理由

趣味で絵を描くとき 陥りやすいのが 目的を見失うことです

・他人に気に入られような絵を描く
・トレンドで流行っているからその絵を描く
・ピクシブで点数が欲しいから点数が付きそうな絵を描く

上記のような、「誰かのために」絵を描いてしまいがちになります。なぜならば、その方が結果的答えが求められるからです。これを続けていくと、他人の喜ぶものを書き続けることになり、自分が何が好きだったのか、何のために描いているのか判らなくなり「趣味で絵を描いている」自分の壁にぶちあたります。

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趣味で絵を描くとは「自分」を見つける旅

例えばトレンドがラムちゃんのが流行っているとします。そこで自分はそれほどラムちゃんを好きでもないのにラムちゃんを書くと、それが絵に現れてしまいます。それを自分で見てなんか違うと思ってしまうのです。自分が真にラムちゃんが好きなのか。何が好きなのか。おっぱいが好きなのか。髪が好きなのか。女が好きなのか。高橋留美子が好きなのか。そこを明確に理解して自分を分析しないといけません。

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そして自分が本当にラムちゃんが好きでその絵を書いている事を悟れば、 他人の評価など関係ない事に気付くはずです。なぜならば、自分は「自分が大好きなラムちゃんを書いてくれる最初のファン」だからです。その一番のファンが「おめー最高だな!」と言ってくれるのだから、それはもうどうあがこうと最高の絵であり、もう他の評価なんて必要ないのです。これが自分の評価こそがすべて!自己完結する無敵の絵の描き方なのです。趣味で絵を描くという事は、そういう自分で自分を褒める絵を探求していく事なのです。

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自分が好きだから、人は見てくれる

じゃあ?なんで絵をアップするの?自己完結してるんでしょ?と言う人もいると思います。自己完結した絵は「自分」であり、「作品」なのだから当然自慢するでしょう。自分の美しさを世に知らしめたいでしょう?自分の素晴らしい考えを伝えたいでしょう?

完成物という作品になって、初めて人に見せるべきものになるのです。そして、それが全く評価されなくとも自分のなかの自分というファンが「これは最高だぜ!」と言っているのだから落ち込む必要なぞひとつもないのです。

これが自分の評価こそがすべて!自己完結する無敵の絵の描き方なのです。

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ゴールは趣味で絵を描くという変態性

この気づきを知ったうえで人に絵を見せると「全裸で街を歩き、ちんこを見せる」ような露出狂の快感を感じ得ると思います。それこそが「趣味で絵を描く」という本質の部分だとおもいます。

自分の素晴らしい世界を見てくれ!これが変態の在り方なのです。恥ずかしがっていては素晴らしさは伝わりません。ちんこを晒していくのです。でも、本当にちんこを晒したら逮捕されます。

_[警]
 ( )('A`)<分別は忘れるなよ!!!!
 ( )Vノ)
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以上、20年以上日陰でゴミのような絵を描き続けたダンゴムシのような絵描きが辿り着いたゴミのような趣味の絵の描き方です。ご参考まで。

カニチャーハンはカニカマを入れると美味しくなる