清濁併せ呑む

清濁併せ呑むという考え方は「ゼロの地点を知り、物事を俯瞰から捉えたい」という欲求から起こる。

善業がが10あるとする。ゼロから起因して10の善業があると考えるのは間違い。悪行が100あった場合、45の悪業の上に10の善業があり、さらにその下に55の悪業があるのだ。

これを全て知った時初めて、物事のすべてが見え俯瞰視できる。これを悟りという。

道徳的な行いだけを追っている内は10の善なる世界に住んでいるだけの井の中の蛙で、どんな悪業にも耐えうる精神力をもって、悪を知らねばならない。そこで自分が悪業に堕ちるのは、精神力の足りない器の小さい人間だという事なので、引き帰りもう一度自分に問い直さなければならない。

人間界を見るという事は毒吸いの修行だ。人間と言うものはどれだけ愚かで悪辣な行為に及んでいるのか、そしてどれだけ尊いのかを見て、そこに宇宙の存在を感じ入れるかという修行なのだ。

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