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【小話】モノに宿るものに対して「入れる」行為が無いといけない事を表わすもの

以前の記事で、霊石(所謂パワーストーン)は『ただ何もせず』に持っていても意味が無いという話をしたと思います。


この話しについて、エライお坊さんが仏教に落とし込んだり神道に落とし込んだりして話をしていたので、自分はここで簡単に(これも受け売りではありますが)それとは別角度から例え話をしていきたいなと。


ネットでも調べればわかるようなものです。

「陰陽師」というのをご存知の方も多いと思いますが、この陰陽師が持つ強力な呪具の一つとして「陰陽術願勾玉」というものがあります。
ネットでそのまま検索していただけると、こうした説明が出てきます。

『陰陽師が正装をする際、身につけるという強力な呪具だ。 中央に翡翠、その左右に水晶や瑪瑙、黒曜石などの天然石でつくられた勾玉が、神の使いとされる鹿の革紐でつながれている。 この呪具を身につけることで、陰陽師の周囲には悪しきものがいっさい近寄れなくなるというのである。』

陰陽術願勾玉とはそういうものです。

ですが、注意しなくてはならないのはこの言葉通り「自分で同じように中央に翡翠を配し、左右に水晶・瑪瑙・黒曜石などの天然石で作られた勾玉を買ってきて革紐で繋げばこうした呪具が出来上がる」・・・ワケではない事です。


この呪具を完成させるためには、陰陽師が術を石にかけねばなりません。
天然石は陰陽師らにとって、地球の分身・地球の化身とも言える程尊くて神聖なものとしており、天然石自体は無論地球上で採取できる天然の石です。
なので「地球の欠片」といえますね。




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