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変化の時代は”正しい”よりも”楽しい”を

正しいことは重要なのか?

コロナ禍で自宅に仕事場を移して数カ月、以前よりもネット上の発信や発言を見るようになった。そんな中で目立つのが「批判の発言」である。出来ていないことや足りないことを批判し、それに賛同のコメントが連なっている。

変化の時代に正解を求めても、誰も教えてくれないし誰も断言してくれない。したがって、正解でないことを羅列し賛同を得て空白を埋めていくことで、なんとなく正しいことの輪郭を浮かび上がらせようとしているように感じる。

”正しい”を求めると”正しくない”も必要になる。白を認識するためには黒が必要なように。

迷った時は”楽しい”を選択しよう

変化の時代なので様々なことを迷ってしまう。迷うことはマイナスなことではない。むしろ進化の過程だと思う。しかし、迷ったときに”正しい”を求めてしまうとその結果にまた迷いが生じてしまうのではないだろうか。

”正しい”を判断基準にすることは、誰かの基準を選択していることと同義である。判断し選択した結果が望んでいたものかどうか、また、迷ってしまうのである。

楽しいを選択しよう。楽しいと思う方を選択するとその結果が楽しければ「良い選択ができた」ということだし、楽しくなければ選択をやり直すチャンスを手に入れたのである。何れにしても、自分基準での選択であり誰かの基準ではない。自分の欲しいものがより明確になるという結果しかやってこないのである。

人間関係も”楽しい”を優先に

「悩みの9割は人間関係」と言われる現代。リモートという新たな人間関係の要素が加わったことで、人間関係にもニューノーマルがやってきている。

人間関係の中に「正しい」を持ち込むと途端に人間関係が難しくなる。「正しい」が発生する時は、そこに「正しくない」が内在しているからである。

「正しくない」が人間関係の当事者の中にある場合、どちらが正しいのかを納得させるという人間関係が生じる。主張し合うのかどちらかが折れるのかという選択とそれを行動に移すタイミングが難しくなってくる。だから、人間関係に悩むのである。

一方、人間関係に「楽しい」を持ち込むと、自分が楽しいと感じなくても相手が楽しいのだからそれでいいし、自分の「楽しい」はこれだと披露してもお互いの「楽しい」がわかり、人間関係はより理解できる関係に進化するのである。少なくとも対立にはなりにくい。

変化の時代は”楽しい”で判断する

VUCAな時代と言われて数年経つが、VUCAとは正解がない時代なのである。そんな時代の選択肢は、「正しい」をやめる事だと思う。「正しい」で選択する先には満足する答えが見つかりにくい。そこには、エンドレスに「正しい」を追求し続ける世界しか待っていないのである。正解がない時代に「正しい」を追い求めることは疲弊しか産まない。

「楽しい」は自分の基準である。人が楽しいものを自分が楽しくないからといって引け目に感じるようなことにはならない。「楽しい」と感じるのは自分以外にいないのだから、間違いなく自分基準で判断できているのである。

これを続けていけば、楽しい世界しか残らない。同じ世界にいながら、それぞれの人が、それぞれの「楽しい」に囲まれている、そんな世界がやってくる。これも、多様性を認める1つの要素だと思う。コロナがもたらしてくれた変化は、楽しい世界へ移行するための変化でもある。

さあ、自分の中に「楽しい世界」を創っていこう。やがて、世界中が楽しい世界になるに違いない。



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