不同意わいせつ罪について──その4

 第8号では、「経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益を憂慮させること又はそれを憂慮していること」により、同意しない意思を形成し 、表明し若しくは全うすることが困難な状態にさせ又はその状態にあることに乗じて、わいせつな行為をする行為が犯罪とされます。

 「経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益を…憂慮している」とがどういうことを言うのでしょうか。

 法務省が作成したQ&A では、「経済的・・・関係」とは、金銭その他の財産に関する関係を広く含み、「社会的関係」とは、家庭・会社・学校といった社会生活における関係を広く含みます。また、「不利益を憂慮」とは、自らやその親族等に不利益が及ぶことを不安に思うことをいいます。」と説明されています。

 法制審議会-刑事法(性犯罪関係)部会の第14回審議会において、金杉美和委員が第12回の審議会において、

経済的又は社会的関係上の地位に差異があるという関係は、それこそ無数に存在します。政治家と秘書、会社の課員と課長、スポーツや習い事の指導者と教え子、大学教授と大学院生、裁判所であれば右陪席裁判官と左陪席裁判官、検察官と検察事務官、弁護士と事務員、正社員の夫とパート勤務の妻、コンビニ店長とアルバイト、あるいは職場やサークルの先輩と後輩に至るまで、人間は社会的動物ですから、およそ互いに影響力を持ち合っているのであって、何らの不利益も発生しない、真に対等な関係というのは、本当に探すのが困難なほどだと思います。

と述べているとおり、これはとても広い概念です。

 そして、「経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益」は、行為者がそのようなものを課す正当な権限を法的に有しているものには限られないということになろうかと思います。「部下が性交に同意してくれない」ということは通常解雇事由に当たりませんが、「断ったら解雇されるかもしれない」ということは、上司たる行為者の「経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益」に含まれるのでしょうから。

 また、「不利益を憂慮させること又はそれを憂慮していること」という文言が使用されているので、そのような不利益の憂慮は、行為者が積極的、能動的に起こさせる必要はなく、被害者側で勝手に憂慮している場合も含みます。すなわち、「ここで性交に応じないと不利益を課すぞ」という話を行為者が全くしていなかったとしても、被害者側で「ここで性交に応じないと不利益を受けるのではないか」と思ってしまえば、「経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益…を憂慮していること」により、「同意しない意思を形成し 、表明し若しくは全うすることが困難な…状態にある」とされることになります。

 なお、令和5年5月17日の衆議院法務委員会において日本共産党の本村伸子議員の「つまりは、加害者の方が、憂慮させるまでの地位とは思わなかった、憂慮しているとは知らなかったと言っても、しっかりと処罰されるという意味ということですね。」との質問に対し、齋藤健法務大臣は「今申し上げましたように、憂慮という評価にわたる認識がなくても、それを基礎づける事実の認識があれば故意は認められ得るということであります。」と答え、令和5年5月24日の衆議院法務委員会において、日本共産党の本村伸子議員の「是非、この点、経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力のある立場にあること、そして、行為者の地位に基づく判断が相手方の経済的又は社会的関係に利益又は不利益をもたらすことのできる地位であること、客観的にそれが分かればいいということで運用していただきたいと思うんですけれども、いかがでしょうか。」との質問に対し、松下裕子法務省刑事局長は、「御指摘のとおりでございます。」と答えています。

 このように、起草担当者は「憂慮」を評価と捉えているようなので、相手と「上司と部下」「先生と生徒」「生活費の大部分を稼いでいる夫と専業主婦の妻」など、「経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力のある立場にあること、そして、行為者の地位に基づく判断が相手方の経済的又は社会的関係に利益又は不利益をもたらすことのできる地位であること」があれば犯罪としては成立し、被害者が実際に「為者の地位に基づく判断が相手方の経済的又は社会的関係に利益又は不利益をもたらす」ことを憂慮していたか否かは犯罪の成否に影響はなく、したがって、被害者が自分との性交に同意したのは上記不利益を憂慮していたからだということの認識が行為者側になくとも、故意が成立すると言うことになりそうです。

 そして、行為者が被害者に対して、それに基づく影響力により受ける不利益を憂慮するに至る「「経済的又は社会的関係上の地位」にある場合、「同意しない意思を形成し 、表明し若しくは全うすることが困難な…状態にある」とされることにされることになります。「同意しない意思を形成し 、表明し若しくは全うすることが困難な…状態にある」とされるとされてしまうと、実際には同意を得た上で性的接触をした場合であっても、8号の不同意性交罪ないしわいせつ罪が成立することになります。

 金杉美和委員も、法制審議会-刑事法(性犯罪関係)部会の第12回の審議会において、

といいますのは、そのときに真の同意があったとしても、後から外形的に見て、それが拒絶の意思を形成する、あるいは表明することが困難だったために同意をしていたような外形になったのだと言うことは可能なわけです。そうすると、これらの事由に該当しない性交渉というのは、全く対等な関係性の場合しかあり得ません。例えば、職場の中であっても、同僚であったとしても、多少、誰かから仕事を教えてもらうというような関係にあった場合には、社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益を憂慮したがために、拒絶することが難しかったのだと後から言うことは可能なわけです。

と述べています。これに対して「斯く斯く然々なので、そういうことにはなり得ない」と答えた委員はいません。同意の意思表示をしたというのは、新176条、177条においては、「同意しない意思を形成し 、表明…することが困難」だったことの結果でしかないのです。

 したがって、新法施行後は、経済的又は社会的関係上完全に対等な関係にある二当事者間以外の性的接触は、全て新176条または177条に該当することになるかと思います。

 また、被害者が憂慮すべき不利益を生じさせ得る「経済的又は社会的関係上の地位」は、行為者自身が持つ場合に条文上限定されていますので、例えば、映画の撮影におけるラブシーンの撮影は、女優が脚本を読み真に同意していたとしても、相手方たる男優と監督等との不同意わいせつ罪の共同正犯と言うことになろうかと思います。もちろん、顧客から対価を収受するのと引き換えに一定程度の性的接触を許す業態は、全ての顧客が新176条または177条の罪を犯すことになりますので、そのことは広く知られた段階で、事実上営業不能になるのではないかと思います。

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