例のオープンレターと社会的評価の低下
言語表現による名誉毀損の成否は、基本的に最判平成9年9月9日民集51巻8号3804頁の打ち立てた基準によってなされます。
とした上で、
というのが最高裁判例です。婉曲的な表現を使おうが伝聞形式を採用しようが、事実摘示による名誉毀損と認定するというのが最高裁の立場です。最近これと反する下級審裁判例が散見されるようになりましたが、最高裁判例は揺らいでいません。
その観点から、例のオープンレターを見ていきましょう。
問題とされたのは、
たという記載です。
オープンレターには、ここでいう「非公開アカウントにおいてはそれに同調するかのような振る舞い」が何を指すのか記載されていません。そして、ここで問題とされている呉座先生の行為は「非公開アカウント」における振る舞いなので、このオープンレターの読者は、原則問題とされている「呉座先生の行為」を自分の目で確かめることができません。
すると、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準としてこの記載を見た場合に、この記載はどのように理解されるでしょうか。
と理解されるのだと思います。これを読んで、
という意味に理解する人はほぼ皆無だったと思います。
そして、呉座先生が百田尚樹さんの「日本国紀」を公的な場で批判していたことは広く知られていますので、ここでいう歴史修正主義とは、日本の過去の歴史を賞賛したいが為に客観的な史実とは異なることを史実として吹聴することを指すと理解されます。したがって、上記記載は、一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として理解した場合、
呉座先生は、公式には、日本の過去の歴史を賞賛したいが為に客観的な史実とは異なることを史実として吹聴する言説を批判してみせているが、非公式アカウントでは、これに同調する内容の投稿を繰り返している
という事実を摘示したものと理解され、それは、呉座先生の歴史修正主義に対する批判は、専門家としての立場からなされているものであり、内心は、歴史修正主義に同調しているのだと理解させるものです。
歴史修正主義なんておよそまともなものではないと一般に理解されている以上、「内心は、歴史修正主義に同調している」と理解させる上記表現は、呉座先生の社会的評価を低下させるものといえるでしょう。
例の和解について勝利宣言をしたりこれに同調したりしている人たちは、今後も、自分宿の仲間を批判する人たちに対して、「オープンレター」という形で、こういう誤解を招くレッテル貼りをしてよいのだと考えているのだと思いますが、それはいかがなものかと思います。
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