特攻隊員を供養するためには

 あいちトリエンナーレ内の「表現の不自由展・その後」の展示作品に、神風特攻隊員を侮辱するものがある、けしからんという批判があります。
 しかし、特攻して(させられて)命を落とすことになった人々の魂が残っていて、我々がその声を聞けるのだとしたら、神風特攻という作戦を考えた人たちや、これに賛同した人たち、そして自分を特攻隊に選んだ人たちに対する恨み節しか聞こえてこないんじゃないかと思うんですよね。そして、神風特攻隊を美化することで、これらの人々の責任をうやむやにしようとする発言を聞くとイライラすると思うのですよ。「大切な人を守るために」云々って、真に自発的に特攻していったかのようじゃないですか。しかし、そんなことしたって空襲は防げない、大切な人を守るためには一日も早く降伏することが必要だってわかっていたんじゃないかって思うのですよ。でも、特攻隊になれと言われて断ったら、自分の命が危ないだけでなく、それこそ自分の愛する人まで危険にさらされると思って、泣く泣く命令に従った人も多かったのではないかと思うのですよね。当時の大学生って、今の大学生よりもよほどエリートで賢かったので。
 そういう意味では、特攻隊員の供養のためには、彼らが無駄にその命を犠牲にしたこと、俗っぽくいえば犬死にさせられたことをいつまでも語り継ぎ、彼らを犬死にさせた指導者たちの無能さをなじり続けた方がいいと思うんですよね。
 真の愛国者なら、自国の有為の若者の命を無駄に費消した作戦を美化しようなんて、いささかも思うわけがありませんし。

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