日記 2日目
ベーシックインカムによって人が働かなくてよくなった時代のあまりの時間に人が新しく求めるものについて考える。
一旦、何も調べることなく自分が知っている知識のみで人が働かなくてよくなった時代におけるあまりの時間の潰し方に関して考えてみる。
まず、僕たちが持っている時間は一律24時間であり暇になったひとたちが1日7時間寝ることを仮定する、それを差し引いた14時間の使い道について考えてみる。自分自身が生きていて一番楽しいこととはなんなんだろうか。
一番楽しいの定義にもよるが一番楽しいことが一番ワクワクすることだと仮定するならば好きな人と一緒に初めていく場所に旅行に行くことだと思う。もっと分解して考えると、建築やアートなどの人が人生をかけて楽しんだ作品を見ることが一番最近でワクワクするのではないかと思う。その空間、作品に関して自分の中でいろいろと考えることがものすごく楽しく感じることがわかった。例えば、作った作者の性格や顔、何を思って作っていたのか何がそんなにも人の感情を動かしたのか、その人がすごいと言われる所以はなんなんだろうか、とのような環境下でどのようなトレーニングをしたりどんな人からインスピレーションをもらっていたのかなどものすごく気になることはたくさんある。もっと論理的に考えるとなんでこの人はこのようなものを作ることができたのか、このようなものを作ろうと思ったのか。何が素敵で何がきれいで何がかっこいいのかなど考え始めると止まらなくなってくる。これが一番楽しいことなのではないだろうか。このようなことを考えて、自分の考えを共有することができ一緒に楽しむことができるパートナーがいることが一番楽しいことなのではないだろうか。
また、一番楽しいことが自分自身の体感時間がものすごく短く感じることだとするならば何かを作っているときではないだろうか。建築関係のものを作っているときはものすごく時間が短く感じるし、しんどいから辞めたいとは考えたことがない。たまに、面白くないことしてるなと感じることはあるけれど。これを考え、生み出すことによって何が変わるのかとか思っているときは面白くなくなるけれど、おそらくそれは自分自身の本心からずれているからなのだろうと最近思うもしかしたら犬の道に入っているのかもしれない。
このような実体験から考えて見ると、アートなど現実世界の機能性からかけ離れたもの自体(スポーツでもアートでもゲームでも)が見た人にとっての解釈から楽しいが生まれる。その自分の体験を感覚を共有できる人たちと話したり時間を共有することができること自体がこれから先の価値を生み出すのではないだろうか。それから考えると、音楽やスポーツはまだまだ廃れることはないしアートに関してはこれからもっと価値を持っていくのではないだろうか。また、建築も同様に生活のために働く必要がなくなった人たちにとって自分たちの過ごす空間や美しい空間、心地の良い空間などに興味を示す人が増え価値が生まれてくるのではないだろうか。
自分の経験、既存知識から考えられること、おそらく自分が望んでいるこれからの社会のありようなのではないだろうか。
次は、ベーシックインカムや生活のために働く必要がない人たちの暮らしてきた歴史について少し調べてからもう一度考え直したいと思います。
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