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僕がセミを大嫌いな理由 1話

待ち望んだ者と、そうでない者。

決して乾いた風ではなく、そしてジメジメとした夏。

また、今年もやってくる。

僕が、セミになった日。

あの日。



「先生、ADHDって知ってる?

少年は、《ADHDを知ろう》と書かれた、冊子を握りしめながら、僕の目をじっとみていた。



今から数年前——。

教授に呼び出された。

今は卒論で忙しいというのに、突然何の呼び出しなんだろう。

Aは、怒ったりはせず、怖くはないが、威厳がある教授だった。なんなら、威厳だけでなく、権威も財力もある方のように見えた。

見えた、というのはいつもAは服が高そうで、何かを見据えたようにニヤッとしているおじいさんだからだ。決して何かを奢ってもらうわけでもなく、気前が良かったエピソードはあまりない。ただ、明らかに仕事ができそうで、余裕のある教授に見えた。いつも高そうなスーツも着ていた。

僕はそんなAに、恐怖よりもなぜか畏怖をもって迎えていた。これが一種の「会いたくない」という嫌悪感に変わる。
何もしていないのに、無条件で背筋が伸びてしまうので、むしろ会いたくないのだ。警察官かよ。

「ここ、座ってください。

「ありがとうございます。失礼します。

「卒論はどうですか?レーザーの打ち方、セルゲイさんに教えてもらいました?

「ええ、アブレーションの仕方は少しわかるようになりました。ただ、仕組みについてが…勉強不足です。すみません。

「来年のこと、考えましたか。どうですか。

なるほど…大学版の進路相談みたいなやつか。

大学に入ってから、何度も聞かれた質問だった。

「A先生、僕は続けるつもりはありません。

「院には行かないんですね。

「はい。院に行って勉強をしたいという気持ちはあります。

これは嘘だ。

「そうですか。もし院に行けば、年に2回は海外で天体観測もできますよ。学会の帰りにでもね。レーザーアブレーション分野は、うちの研究室と、セルゲイ研究室の共同ということになるのはわかりますか?新しい分野になるんですよ?

「はい。自分とTさんの2人しかいないので、後ろめたい気持ちがあります。それにTさんも…

僕も、Tも、2人とも同じ道だった。

「それに、Tさんも僕と同じ教員になろうと思っているので、大変申し訳ないのですが、院には行けません。

行きたくない、が真実だ。

そう言って、教授の部屋を出た。

これが、定期的にやってくる。会いたくない、というのは、将来教員になりたいことは確かなものの、どこか自分の将来を選択したくないのだ。

そのレールに乗ってしまうことが、宿命であるかのように見えてしまうからだった。

Aは、僕に何を言いたいんだろう。

僕の能力を認めたとして、院に行ってほしいのか、
はたまたA自身の実績のために(少なくともお金ではないはずだ)こうまでして言うのか。

しかし、僕の将来以上にはっきりしていることがある。

僕には能力なんてものはない。

Aは、どうして僕に…。

どういうわけか、歳の離れた兄の言葉が甦る。

『いいか?その人が何のためにお前を叱ってくれるか考えろ。説教をしているそいつに利益があるのなら、それはお前のことはどうも思っていない。もはや怒る理由を探していた状態だ。だから、お前が今怒られているのはタイミングが悪いだけだ。でもな…

「教員」という言葉を発した時のAの一抹の不安顔が脳を駆ける。

『…でもな、そいつに何のメリットもなくて、怒られてるとしたら?むしろ、そいつのデメリットもある状態だ。それは、お前のことを思って怒ってるんだよ…。だから、その時にはそいつを信用しろ。お前の人生いや、半生の半分くらいはベットしてもいい。

何のことやらわからない話が、僕の頭の中に残っている。

Aは、僕を肯定しているのか。
それとも、否定しているのか。

帰宅後、そんなことを考えながらコーヒーを啜る。

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