作家と一貫性

ようやく曲作りに帰ってきた。一年前に作っていたものとは質感もテクニックもまるで違うように思える。一貫性がないのだろうか。

一貫性は確かに重要だ。作家は自分のスタイルを見せていかなければならない。だが、スタイルを「変化しないこと」と捉えてしまうと沼にはまる。かつての俺がそうだった。結局、すべての作品が「同じ感じ」になってしまい、非常に狭隘な価値観のなかで高いクオリティを出すことが目標になっていた。このやり方では俺の作品の世界が広がっていかない。いつまでも同じポイントを掘り続けているだけになってしまう。そういうのを「一貫性」「スタイル」と呼ぶのならば、そんなものは捨ててしまっていい。

今年の作品と去年の作品はまるで違うかもしれない。一貫性がないように見える。なぜそう見えるのか。それは、その変化に物語が感じられないからだ。その変化の過程が見えてこないからだ。こういうミスは——俺は端的にこれはミスなのだと断言したい——完璧主義的な性向を持っていると起こりやすい。本当に納得したものだけを世に見せていくと、〈①作品同士の繋がりが見えない ②同じような作品ばかりが生まれる〉のいずれかになりがちだ。どうせ評価するのは、今の自分とは異なる価値観の人なのだから(将来の自分さえも、今の自分とは価値観が異なるだろう)、作品はどんどん公開してしまっていい。そうすることで、作品同士の有機的な繋がりが見えるようになってくる。

自分の作品同士を繋いでいくこと。これが進化と変化を重ね合わせる唯一の方法だ。ごく限定的な「スタイル」をひたすらに掘り進めていくのでもなく、無軌道に拡散していくのでもない。点を深めていきながらも、しっかり線を描いて面を作っていく。面に深さが生まれると三次元になる。作品同士で立体を作り、その立体自体をも作品として見せる。

そう、とにかく作り続けなければいけないのだ。大量に作り、大量に公開しなければいけない。それが全体として作品を作るということだ。

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