特別講座 : 血の騒ぎ
・「オンラインとオフライン、同時並行で開催します。」
・そしたら、オフラインの方に顔出そうかな。もう感染予防のために行動を控えることはほとんどなくなったし。コヴィッドに感染してから、肉体的にも精神的にも対コヴィッド免疫ができた。同時並行で。
・大好きな東横線に乗りながら、昔ハマっていたバンドDream Theaterを改めて聴き、そして同時並行でこの日刊弁慶を書いている。
「……同時並行ってなんやねん!」北日本純血の俺の中の、関西の血が騒ぐ。「同時と並行は同じやろ!」
ここで南極の白熊くらい冷静になってみる。(無論、白熊の血は入っていない。)同時だけど並行でない場合もあるのでは?たとえば俺がみなとみらい行きの電車に乗っているまさにその時、長澤まさみが和光市行きの(つまり渋谷方面へ)東横線に乗っているとしよう。
俺がみなとみらい行きに乗っていると同時に、長澤まさみは渋谷行きに乗っている。
俺の日本語感覚が一般的だとすれば、ここで「同時に」を使うのは奇妙だ。したがって、並行ではなく交差するとき、同時とは言わない。
「いやしかし」と白熊の血が再び。「次の例を考えてみたまえ」
俺がスクランブル交差点をハチ公前からセンター街へと渡り始めると同時に、長澤まさみはセンター街からハチ公前へと渡り始めた。
コレはいける。交差しそうだ。同時並行ならぬ同時交差があるのかもしれない。
「ちょっと待って」と北極のペンギンの血が言う。「こう言ってもいいと思うんだけど。」
俺がスクランブル交差点をハチ公前からセンター街へと渡り始めるのと同時並行で、長澤まさみはセンター街からハチ公前へと渡り始めた。
ペンギンくん、君は賢いね。だから好きなんだよ。俺は水族館の生き物の中でペンギンが一番好きである。
同時と同時並行はやはり、同じことを言っていそうだ。では、「同時」と言わずに「同時並行」と言うことにどんな価値があるのだろうか。
富と名声、矜持、栄光
全部欲しいぜ同時並行
同じ意味の言葉が複数あると、ラッパーは助かる。韻のために意味を犠牲にしなく済む。意味を犠牲にするラッパーからは矜持を感じられてカッコいいが、意味と韻を同時に手に入れられるならそれに越したことはない。
ラッパーの友達は沢山いるが、俺はラップをしない。しかし文章のリズムを大事にしている一介の文筆家としては、「同時並行」が必要になる時があるかもしれない。
取るに足らない戯言(あらゆる戯言は取るに足らない。したがって、同時・並行と同じ構造)を書き付けたが、あるいは僅かばかりの知的興奮を覚えた人もいるかもしれない。全く動じずにいる人、「時間を無駄にした」と閉口している人も、同時並行(つまり同時交差)で存在しているかもしれない。ともあれ、この辺で特別講義『血の騒ぎ』を閉校する。
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