『トゥワイス・アポン・ア・タイム』/第一回<大西洋も超えて>

「大西洋も超えて」という名で始まった当連載。(実はネーミングはまだ迷っていて、変更の可能性あり。)フランスのドラマを扱っていく。詳しくはイントロダクションを参照。


内容には極力触れない、という基本方針のもと、まずは題について語ろう。

『トゥワイス・アポン・ア・タイム』というのは、言うまでもなく”Twice Upon A Time”であり、つまり英題である。英題のカタカナ読みが邦題として採用されることは、フランス文化の、あるいはフランス語の馴染みなさを露呈している。英語の原題をカタカナ読みして邦題とする例は、英語圏の映像作品および楽曲名/アルバム名などでは一般化されている。そしてフランス製の作品の原題が英語であり、それがカタカナ読みされる例もある。(当連載ではのちに『ファミリービジネス』が取り上げられるだろう。)しかし仏語題がそのままカタカナ化されることは珍しい。

この作品の原題は«Il était une seconde fois»だ。(仏語に馴染みのない読者のために付言するが、仏語における引用符は«»である。)直訳すると「<二度目>があった」という意味になる。英訳は”Once Upon A Time”(=昔々或るところに… / 仏語では«Il était une fois»)のOnceをTwiceに置き換えており、なかなか巧みな訳になっている。

主人公が過去に戻って、後悔の残る現実をやり直すというのが大筋だ。設定としてはごくありふれたものである。この種の設定の作品に対する命名にはセンスが問われる。同カテゴリーの逆位相としては『バックトゥザフューチャー』がある。『トゥワイス…』も『バック…』も、それぞれの仕方で時制のねじれを表現しており、製作陣の言語感覚の鋭さを感じさせる。

ドラマの本編について、まずは私自身がフランスを感じたポイントを2点挙げておく。

①喫煙シーンが多い。
仏国の喫煙率の高さはイントロダクションでも指摘した通りであるが、本作においては、日常的な所作としての喫煙以上のものが映されている。物思いに耽ったり、空白の時間を過ごしたりするためにタバコを喫う場面が多く収められている。その際、喫煙者は窓際やソファーの上で、たった一人で映し出される。独白も、ましてや会話もなく、ただタバコを喫っているのである。

日本のドラマにおいては、物思いに耽る人物は、ほんの2,3秒の間をおいて次のアクションに転じるか、あるいは酒を飲みながら遠くを見ているかのいずれかが思い起こされる。前者は考えるには短すぎるし、後者は喫煙時とは精神状態=気分が異なる。10秒たっぷり黙考するカットを収めるには、タバコが必要なのかもしれない。喫煙時にしか映し出せない心情があり、それは英語圏や日本・韓国のカメラが捉えにくいものなのかもしれない。

②学位論文を執筆中の登場人物
論文を執筆中、あるいは執筆後の登場人物は、フランスドラマにおいて頻出する。キャラクター設定の要素として一般的なのだ。「社長である」「バツイチ、シングルマザーである」などのキャラは日米韓のいずれでも珍しくないだろう。フランスでは、それらと同列に「論文を書いている」という設定がある。

大学制度に対する理解が広く共有されているのか、あるいは「論文を書いている」が「画家である」(=絵を描いている)と同じようなジャンルとして見做されているのかは私には分からない。いずれにせよ、「論文を書いている」ような人物に関して、なんらかの共通認識みたいなものがあるようだ。

文化理解はこの辺にして、映像作品として本作を扱っていこう。

先述の通り、本作は過去にタイムスリップする物語である。通常の時間観念を歪めるSFなのである。時間のリズムを複数化/複層化するというテーマが全体を貫いている。視聴者は「反復可能な過去」という時間のあり方を共有しなければならない。出来事は繰り返される。

そのような世界観が、物語の構成だけではなく、編集の技法としても顕れている。この技法は全4話の作品中、幾度か繰り返される。どのようなものか。1,2秒のワンカットが数回ループされるのである。たとえば衝撃的な場面がスロー再生になったり、一つの対象が複数の画角で反復されるような編集は馴染み深い。しかし、全く同一の映像が複数回再生されるのは新鮮だった。本作における時間の在り方——いちど限りの出来事が複数化されうるという世界観が看取される。

主人公は同じ時間を複数回経験する。二回目は一回目と異なる視点にならざるを得ない。何が起こるか知っているからだ。そして視聴者としても、いま観ているシーンが一度目の時間なのか、二度目の時間なのかが判明でなければ筋が追いづらくなる。『バックトゥザフーチャー』のように世界の光景が全く異なるのであれば、時間の理解は難しくない。しかし本作で遡るのは高々数ヶ月であり、周りの環境はほぼ変わらない。回想シーンが挿入されることもあり、「どの視点のどの時間か」という錯綜した状況を理解しなければならない。

視点に工夫がある。過去に戻った主人公の視点の時、映像が正方形に縮小するのである。左右が削がれるのだ。過去への入口が立方体の箱である、という設定と結びついて、視点の変化が物理的に表現されている。それは心情や内容の変化ではなく、形象の変化である。先に述べたシーンの反復もそうだが、形式において内容が表現されている。構造主義以降の哲学が勃興した仏国の本領発揮、という感がある。


本作は非常に凝った作品だったように思われる。月並みな二分法を敢えて採用するならば、エンタメというよりも芸術に近いものだった。非常に論じ甲斐があった。次回はエンタメ要素の強い作品を取り上げるつもりだ。引き続き乞うご期待。

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