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日記(2022/08/05-07)

金曜日。ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』読み進める。第一部「窓」読み終わって第二部「時はゆく」へ。三年前に作った映画『そんなこと考えるの馬鹿』後半部分のある場面でやりたくて拙いながらも試みた、小津安二郎の映画で人間が排された画面が出てくるときの美しさ、みたいなものがこの第二部にある。感想は読み終わったらまとめたい。

土曜日。サバサンドを食べたくてカフェ・コロラドに行くが結局カルボナーラ。中学時代入院してたときに食わず嫌いだったカルボナーラを食べておいしかったのがきっかけで好きになった。食わず嫌いの食べ物で食べてみたやつはむしろ好きになることが多い。白石晃士『カルト』彼女と見る。初見だが彼女はひと月前にも一度見ていて面白かったらしい。コワすぎと同時期の作品なので世界観が共通している。『パラノーマル・アクティビティ』っぽく監視カメラ視点が多く採用されている。だから住宅の前にどこかから人が群がってきて急に邪教の儀式みたいなの始める場面も俯瞰の引きの画で撮られていて「何か嫌なもの見てしまった」という感じが増す。ここは良い。寄ったりカメラ動かしたりしないという監視カメラの禁欲性みたいなものがあるからこそ白石晃士にしては過剰になりすぎず抑制が効いていてむしろ好印象。

日曜日。母校の映画部の友達が東京に住むことになったので久しぶりに会って一緒にジョン・フォード特集『荒野の女たち』。やっと見ることができて感激。画質は相当に悪いが歓喜の方が勝つ。タイトル文字のアニメーションが『荒野の用心棒』っぽい?そんなことよりひたすら陰惨なフォード。遺作にして最も救いようのなさが滲み出てしまっているというか。荒野と言いつつ荒野はほとんど写されない、ほとんどが中国辺境の伝道施設の門の内側で展開する。中盤に訪れる馬賊侵入場面がめちゃくちゃアガる。いや普通に考えたら残酷な侵略行為なのでアガるはずもないのだが、フォードはここで「アガる」ように撮っている、ように思える。何せ音楽がそういう盛り上げ方をしている。陰惨な旋律ではなく高揚感をもたらす旋律を聞かせている。フォードの映画では何かが乱暴に破壊される場面が多く存在するが、それが陰惨だと感じた覚えはこれまで見る限り一度もない、しかし『荒野の女たち』のこのシーンは、頭で考えると陰惨でしかなくても、映画を見る身体は抑えがたく興奮を感じている。フォードはどんな文脈における破壊場面であっても例外なく映画的興奮を湧かせる演出を心がけていたのかもしれない。アン・バンクロフトという俳優の存在の魅力もまたこの映画を重苦しさから遠ざけている。これまでに見たフォード作品の女優の中で一番好き。タバコ姿がかっこよすぎる。この映画のように、陰惨だが陰惨すぎないように撮っている、しかし溢れ出す陰惨さ!みたいな、一面的ではない映画の手触りというか、相反する要素が拮抗し合うこと、フォードの捉えどころのなさであり最大の魅力。帰りにジュンク堂書店。ヴァージニア・ウルフ『波』の新訳を買う。


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