日記(2022/06/20)

小泉義之『兵士デカルト 戦いから祈りへ』少しずつ。読むと勇気づけられる感じがある。

思考するたびに常に欺かれてはいないかという懐疑は、それでも、あるいは、だからこそ、そのように欺かれる「私は存在する、私は実在する」と私が捉えるたびに、解消される(132頁)

「それでも、あるいは、だからこそ、」の句点の多さに切実さを感じる。「『私は存在する、私は実在する』と私が捉えるたびに、」とあるが「私が唱えるたびに、」と言い換えて呪文のようにしたくなる。「それでも私は存在する」から解消されるのではなく、「それでも私は存在する」という事実だけは確かに欺かないこととしてある、そのことがあらゆることへ向かう勇気の源泉になる。

ジョン・フォード『駅馬車』再見。落馬したインディアンが地面に転がったすぐあと、後続する馬車の列が彼を踏みつけて画面外に消えていく、その一瞬。「あ、死んだな」となるやつ。思わず声が出るほど驚き興奮したが、ヤキマ・カヌートというスタントマンらしい。あと『黄色いリボン』を見たときにも思ったが、弓矢というバイオレンス。他でもなくただ殺すために人をめがけて放たれる物体群のなかで銃弾が点だとすれば矢は線だといえる。だから矢は弾道を可視化している。殺傷物体の飛行の軌跡がそのまま人体に突き刺さっている。これが怖い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?