日記(2022/06/14)

小泉義之『デカルト哲学』読み終わる。めちゃくちゃ面白かった。デカルト=独我論のイメージがあるから敬遠して全然知ろうとしなかった。でも実際小泉義之を介して読んでみると心動かされた箇所がいっぱいある。

デカルトは世俗的服従義務などは問題にしない。(…)デカルトにとっての問題は、上官の命令を受けたときの自分の精神的「欲望」だけである。前進したければすればよい。後退したければすればよい。後退したいのに、物理的暴力によって強制されたなら、そしてそれが「運命」のように不可避であるなら、後退したいという欲望を捨てればよい。道徳としては、これだけを決めておけば足りる。(44頁)

こんなに素朴で良いのかと思えるくらい簡潔な道徳。でもここに至るまでの論理の経過に切実な何かを感じて惹き込まれる。

宗教はこの世を越えた超越者に触れようとするが、そこで留まる宗教は信頼に値しない。夢みさせるだけで終わるからである。最高の宗教とは、超越者に触れた場所から反転して、超越者がこの世を眺めるような仕方でこの世を認識し直す宗教である。たとえば、いかなる人間をもあの世で救済されるという教説から、いかなる人間も現にこの世で救済されているという帰結を、断固として引き出す宗教である。そのとき最高の宗教は自らを無用にして自ら死滅する。まさにそのとき、最高の宗教性と最高の非宗教性が一致する。(141頁)

あらゆる思想を根こそぎにしていくデカルトの企てに始めは眉をひそめてしまいそうになったが、読んでるうちに興奮してきて最終的に「ほんまもんの幸せはその道にしかないんや」という状態になった。

政治的なるものから隠れることを批判することによって、近代国民国家の政治性を補強する(…)かれらはプロレタリアートを排除する一方で、プロレタリアートを叱責して啓蒙して責任を押し付ける(…)これに対して、プロレタリアートは、政治的市民的自由が奪われても何とも思わない。それは善く生きるためには意味がないからである。あるいは、政治性や公共性がなくても、人間は幸福に生きられるようになっていなければならないと考えるからである。(199頁)

選挙行かない人が指弾される感じも分かるがでもやっぱり大きな違和感の方がある。政治がある以上何も根本的な解決にならない……。

神保町・東京堂書店寄って小泉義之『兵士デカルト:戦いから祈りへ』買って帰宅。

(今日は終わり)

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