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【音楽雑記】#73 WANDSやZARDなどビーイングがチャートを圧巻していた。(1993年②)

この頃、CDがやたらと売れていた。
既にドラマ主題歌が次々と大ヒットしていたが、1993年は特に音楽制作会社ビーイング系のアーティストのビックヒットが続いた。

オリコン年間ランキングをみるとミリオンセラーになった曲の過半数はB'z、ZARD、WANDS、DEEN、T-BOLANなどで占められている。ビーイングの勢いに押されて往年のアーティストもアイドルも相対的に影が薄くなっているような気がした。

下の記事によれば、ビーイング系のシングル売上枚数は2370万枚強で大きなシェアを占めていたようだ。カラオケブームを背景に、歌って楽しめる曲のニーズをとらえたビーイングの戦略がうまくいった結果との分析だ。

ZARDの代表曲「負けないで」「揺れる想い」もこの年のヒット。
WANDSも「世界中の誰よりきっと」などミリオンを連発した。

バンドの体はとっているものの、プロデューサー主導のもとでイメージ戦略から楽曲制作まで品質管理が徹底され、作曲家への発注、編曲や録音、タイトル付けなどを含め「売れる」ためのプロジェクト的なアプローチが確立していたようだ。いずれにせよ今でも歌い継がれるヒット曲を連発したのはすごい。

そして、ここらへんから、プロデューサー主導によるヒット曲づくりが増えてきたように思う。

翌1994年には小室哲哉が、篠原涼子 with t.komuro名義でシングル「恋しさと せつなさと 心強さと」をヒットさせ、小室ブームが起こってくるし、小林武史がプロデュースするミスチルも「CROSS ROAD」「innocent world」をきっかけにブレイクすることになった。

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