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超克家になる

克服の最上級、超克。この言葉を知り自分の人生の意味を知った。嫌なことをあえてやってきた意味がわかった。苦手なもの困難を克服することに心血を注いできた。自分にとっても、周りのことも。光は当たらず理解も得られなかった。でも人生を楽しんでいる。心も病むかぎりぎりのところなのに楽しみを見つけて前に進んでいる。マイナスなものをゼロにすること、ゼロだから飛び抜けないから名誉もない。争うものは自分。地獄のような状況でも楽しんでいる。この道に進んだ理由がそう。あえて嫌な道を選んだ。別の道もあったけど、苦手な道を選んでしまった。ずっと後悔してたけど腑に落ちた。苦手なものを見過ごせない。それを克服すること、それは奇跡であり、何よりの価値となって喜びを与えてくれる。
 超克家のさだめ。超絶的に逆境に強い。強いのはしなやかさに通じる。折れずにフニャッと曲がる。強そうな人ほどすぐ折れる。
 克服は芸術。苦しみの中に生まれる宝であり奇跡。オリンピック選手は金メダルを取ることを目指す。病人は病を克服することを目指す。どちらも同じ価値に思える。僕は後者の道を選んだ。何の取り柄もないと思ってたけど、こんな超人のような気質が備わっていたことに驚く。克服はつらい。辛いから楽しみを見つけねばならない。遊びながら克服しないと持たない。それも学んだ。どこがゴールなのだろう。すべての人がこの辛い状況から抜け出した時、いや抜け出せなくてもその中から楽しみを見出した時、本当のやりたいことが叶うといえる。辛さに耐えるには折れないしなやかさが必要。しなやかさは遊び、適当さ。超克家の喜びはまだ見ぬ自分を見ること。できなかったことができるようになる喜び、嫌いなものが好きになる喜び、苦手なものが普通になる喜び、様々なところに克服の喜びがある。あまりに軽視されすぎたのではないか。克服という言葉が。超克家は特別感が好きで洗練されたものが好きな資本主義の時代には全く合わない。いわばこぼれ落ちた人たち。負け犬かもしれない。でもそこに生の喜びを感じる。

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