見出し画像

もっと淋しいかと思ってた。

6月14日(金) 夕方

今朝、暑くてサーキュレーターを出した。東向きの部屋なので、朝日ですでに暑かったから。人間もすごく暑かったけど、遊びに来た猫が涼を求めている様子だったので猫にささげたら、お礼にか手を掴まれて舐められた。ザリザリするのがたまらない。

その後、朝ドラを見て、今週いただいたオーダーの下書きをする。昨日思案していたものより、今朝浮かんだ構図の方が良い。昼から友人のお店に顔を出して、それから刺繍糸と生地の買い出しに行った。今日は糸を大量に買い込む。オーダー品を作りつつも、今月末にはオンラインショップにも商品を並べたい。
ひとつひとつ、丁寧にいきたいななんてことを思う。もちろんオーダーはたくさん入った方がいいだろうし、SNSもたぶんきっともっとうまい使い方があるんだと思う。うまく行く方法やビジネスチャンスを探るべきなのかもしれない。実際、SNSのおすすめにはハンドメイドコンサルなるアカウントがよく登場する。なんか怖い。そういうことでは私の場合はうまくいかないんじゃないかって感じる。もちろん暮らしていかないといけないのは前提にあるけど、手刺繍のよさって「こなす」ようにすることでは出ないと思う。

昔から、心が動かないと体も動かない。「仕事だからやらないとな」だと、しわ寄せがきて、物欲に走ったり、飲みに行ったりして発散をしていた。子供みたいな人だなと今書いてて思ったけど、私の話だ。もしかしたら人生を折り返しているかもしれない年齢の私の話だ。心が動くことだけしていたい。わがままさんすぎる。

今、仕事の裁量権がほとんど私にあることがすごく幸せです。会社に属していると、責任者の立場を与えられても、ある程度しか裁量権はなかった。というかほとんど無かったに等しい。自分で決めるの大好きな私にとって、フリーランスになったことは正解だったなと思う。
そのおかげでストレスがない。お店に立つということがなくなったので、人に見られる機会がなくなり、笑顔のための表情筋が衰えるんじゃないかと恐れていたけど、気を張ったりイライラしたりして眉間にしわが寄る心配もなくなったわけだ。自分でも穏やかな顔をしているなと思う。

たくさんの人に接して働いていたので、もっと淋しい気持ちがわくかと思っていた。けど、実際はそうではなかった。
淋しさって、人に会って解消するものではないんだなと実感する。
たくさんの人に接していた時の方が、淋しい気持ちを持っていたかもしれない。それは辞めるからセンチメンタルになっていたとかそういうことではなくて、会社の良いなと思っていたところが、そう思えなくなったこととかそういうこと。

なので最近はほとんど人に会わず、たまに会いたい人に会う生活。会いたいなと思う人が浮かんでも、別に会っても会わなくてもいいな、という感じ。そういう人が浮かぶことだけで、ある程度満足なのかもしれないです。
こんな生活なので、今日が何日で何曜日かわからなくなるけど、ラジオのおかげで何とか曜日感覚を保っています。

今日は一番大好きなラジオの日。
22時に向けて準備をします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?