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その人が現れるのが旅かもしれない。【家から5分の旅館に泊まる】

 最近の涼しい夜が好き。出かけるハードルが下がるし、いつもなら車や電車で出かけてしまう距離も歩いてみようかなという気になる(その後実際歩く確率は5分の1にも満たない)。それから服も楽しい。夏の間は着る枚数も素材も限られていたので、上に重ねたり、長い袖のものを選んだりが楽しい。何よりうれしいのは猫が傍らに来てくれること。夜が冷えるようになってからの事なので、明らかに暖を取る為なのは分かっていても、猫が私の体に自分の体をぎうぎう押し付けて丸くなってくれると、「私のこと好きなのだね」と思いたくなる。そう思い込ませてくれる猫のやさしさ。

 昨日のうちにあと少しだから読み終えようと思っていた本、布団で寝る前に読んでいたらほんとうにあと少しのところで眠たくなってしまった。なので今朝起きて、そのあと少しを読んだ。

 スズキナオさんの本は『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』を最初に読んでから、定期的に読むようになった。イベントごとやお祭り的なものが昔から苦手だった私にとって、今このままで、暮らしを楽しんでいけばよいのだ。寧ろそれでよい。と思わせてくれるのが、私にとってのナオさんの文章。じわじわ効く漢方薬のようだなと思う。

 で、今回は旅のエッセイ集ということだけれど、あまりそれを自分の中に留めずに読み進めた。留めずに読めたのは、ナオさんがどの場所に居ても同じというか、ナオさんのフィルターを通して感じたことや思い出したことを書いてくれているからかもしれない。行った先で、もう会わなくなってしまった友人とのエピソードを思い出したり、亡くなった人を思い出しながらその人が好きだったものを見に行ったりする。確かに大切だった人を失った淋しさや悲しさを感じながら、もっとその人のことが大切だった人が他にもいることを思って、自分はそこまで悲しむ資格があるのだろうかと思ってしまうナオさんのことが好きだなと思う。
 感情は、ある/ないの二択ではないことがこの本を読んでいるとはっきり分かる。テレビを観なくなって久しいけれど、テロップやBGMで「今、こういう感情になるシーンですよ!」が提示されることに疲れてしまったのも一因だ。暮らしの中で嬉しさと淋しさが同時に発生していることなんて、常なのだけれど、分かりやすく感情を決めつけられたり、一択にされたりするのが本当に苦手だ。それから、こういう感情ならこう行動する。みたいなのも苦手。どういう感情を持ったとしても、どう行動するかはその人次第で、周りが固定化していいわけがないと思っている。だから私は、自分が持った新しい感情をあまり周りに話さないのかもしれない。

 そういう日常の揺らぎや、その人自身が感じられる読書時間でした。旅本読んでいる時よりも、この本を読んだ方が「ここ行ってみたい」という気持ちになった。同じ場所に行って、自分はどう感じるのかを知りたくなっている。

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