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相手のことはずっとわからない。

6月23日(日) 

朝から雨だった。雨は嫌いじゃない。雨だから、家にじっとしていても、出かけたくてうずうずすることもない。猫もずっと寝っぱなしを決め込んでいる。


誰かのことを全部理解できたと思ったことがない。誰かに対して「私があなたの一番の理解者」と思ったこともない。そうありたいと思うことはあってもなれるとは思えない。
批評家の若松英輔さんが「どんなに大切な人であっても頭の中までは入っていくことはできない。」とおっしゃっていた。その通りだと思う。
人はずっと一人だ。誰かと暮らしたり、そうでなくても近い距離感の人が暮らしの中にいたりすると、そのこと忘れてしまいそうになるけど、どんな状況であっても人はずっと一人だ。

こう書いておいて、私は学ばない生き物だ。どんなに近くにいる人でも、所詮他人、他者。頭の中までは入っていけない。そう思っていても、距離が近くなると忘れてしまうことも多々ある。自他の境界が薄くなる。共感が苦手なのに、自分のことは分かって欲しいという欲望がすぐにムクムクしてくる。すごく厄介な欲望だなと思う。これがあるから、人と近くなるのがいつも少し怖い。

きっかけがある。たぶん20年くらい前、当時好きだったミュージシャンがエッセイで書いていた、「人は完全に分かり合うことはない。もし、それが叶うとしたらその人とあなたは同一人物。分かり合えないからこそ、知りたい、触れたい、分かりたいと思うんだ。」という内容。これをずっと大切に持っているし、その人の作る音楽を追わなくなった今でも、そのエッセイが収録されている本はずっと持っていて、たまに読み返す。
そんな価値観を大切に20年持ってきているから、軽々しく「わかるよ。」なんて言えない自分になった。そういう自分のことは好きだけれど、変なフィルターを通さずに「わかるよ。」と言える人がたまに羨ましい。たまに。

共感はとても強くて、「あなたと私は同じ」は、容易に人と人をつなげる。けど私はそうではないところで、人と関係性を築きたい。ゆっくり時間をかけて醸成されていくような関係性が欲しい。クイックなものが好まれる社会にだな、と思う。人と人がつながりやすいなと思う。別にそれを否定したいわけではないけれど、私はそれを望んでいなくて、相手のことを分からないな、知りたいなと思う時間も楽しみたい。

ちょうど今、音楽を無作為に流していたら星野源の「肌」が流れてきた。歌詞に「どんな 近づいても 一つにはなれないから」ってあって、そうそう、そういうことだよ、と思う。源さんの歌詞にはそういうのがいくつかあって、「ばらばら」の「世界はひとつじゃない」という歌詞も大好物。

世界とも、一番近い大切な人とも、ひとつにはなれない。

そういうことがある前提で、これからも大切な人たちとそれぞれの大切なことについて話していきたい。

分かり合えないからこそ、いとおしいと思えるんだよ。


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