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父の百箇日と置いてけぼりの感情

今日は父の百箇日でした。
親戚が集まった。

最近の長男は奇行が増えた。
目をキョロキョロさせたり、首を左右に振ったり、食べ物をジーっと見つめたり。
強迫行為だと思ってたものはこだわりのようだけど、そこに何か違いはあるのか。

チックのようだなと思ったりもする。
その症状が現れて、しばらくして消えるものもある。
でも違うものが出てくる。
まぁストレスから来てるのかな、という気はする。
とにかく、こういうことも今年のGW明けから急に始まったので、何事が起こってるのか、と、私の頭が追いつかない。
この症状がなんなのかもよくわからないし。

なるべく指摘しないようにしているが、ずーっとそんな奇行を至近距離、視界の中でされていると、イライラしてくる。
ジーッと見られる時もあるし、ギョロっと見られることもあるし、正直気持ち悪い。

言わないように、と思っていても、つい言ってしまう時もある。

話を戻すと、そんな息子を人前に出すのは嫌だなと思ってしまう。
「何それ?」
「何してんの?」
って絶対聞かれるだろうし。
いちいち「発達障害です」なんて言わないし。言えないし。
言ったところで理解が得られるわけで無し。

例え学校に行かなくなったとしても、外には連れて行こう、と思うけど、なんかこうなるとそれも億劫というか、ちょっと連れて行きづらいなと思ってしまう。

「そんなこと言うなんてひどい。それも長男くんの個性なんだから。」

と言う人がいたとしたら、
それは発達障害児の子育てについて本当に無知な理想論者だ。

これまで全くふっつーだった我が子がどんどんおかしくなる。
受け入れろっつったってそれは時間がかかる。



会食の途中、母が
「1人ずつ近況報告でもしようか」
と言い出した。
喪主として、故人の妻として、せっかく集まった場を盛り上げようということなんだろうけど、
相変わらず頭のネジぶっ飛んでんな、と思った。
我が家にその話題、振るの?

兄が「俺はしゃべりたくない」と言ったので、それは無しになったから良かったけど、
私に人に話せるような明るい話題なてない。


父がこの状況を見なくて良かったな、と思う。
まあ説明してもわかってもらえないだろうし、私とのケンカの種が増えただけだっただろうな。


外に出せば、他人に迷惑をかけないようにと気を遣う。
それに加えて、どこからどう見ても「変な人、ヤバい人」みたいになってる長男を、積極的に外に出したくない。


あーあ。
学校に行ってるせいでこうなった。

と思う私は間違っているのかもしれない。

状況がこんなに目まぐるしく変わっていくことについていけない、耐えられてなくて、こんな風に落ち込み、子どもを隠したいと思う私を誰か責めるのだろうか。

こうやって、障害児を持つ母親は、内にこもっていくのだなと、身を持って体感している。



学校に行くことよりも、前みたいに普通に生活できるようになってほしい。


人は死後、四十九日まで自分が死んだことに気がつかないそうだ。
この3ヶ月、息子のことがいろいろありすぎて、私は父が亡くなったことに気が付いていないのだ。
父を看取ったし、葬儀が終わるまでも見届けた。
でも、その「事実」は、葬儀や諸手続きの忙しさで感情を置いてけぼりにし、さらに息子のゴタゴタで、私の中では全く整理がつかないまま、父の死に関しては時が止まったままなのだ。

久しぶりに見た大きな遺影の父は、まだそこに座っているようだった。

あれ?お父さん何でいないんだっけ?
どこにいるんだっけ?


という思いが脳裏を掠め、様々自分の感情が追いついていないことに気付く。


今が人生最大に、キツイ。

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