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新潟機那サフラン酒とキナワインの薬草酒の歴史


BenFiddich店主の鹿山です。




今回は文明開花が著しい明治以降に
流行した日本の薬草酒

新潟県は長岡市の伝統キナリキュールである

【機那サフラン酒】を紹介したい



機那サフラン酒は


機那→キニーネ(キナの木の樹皮)
サフラン→サフランの雌しべ乾燥した香辛料
のリキュールとなりいわゆるキナリキュール


ただ、キニーネに関しては
日本のトニックウォーターの現状然りで
薬事法に抵触するので近年の
機那サフラン酒には使われてはいない。

左→現行の機那サフラン酒
右→1970年代あたりの機那サフラン酒


右の古酒の機那サフラン酒にはキナが使用。
左の現行にはキナは使用されていない。


また、右の古酒は本家の製造元であった
吉沢任太郎商店であり
当時の免許のカテゴリーとしては
薬用酒として薬として売られていた。


第2類医薬品(>滋養強壮保健薬>薬用酒)
となる。

左の現行の機那サフラン酒は
現在は兄弟会社である新潟銘醸株式会社が
委託製造しており推測するに
リキュールの免許として製造しているので
薬事法の観点から
裏面の使用材料が大幅に切り替わっている。

リキュール(酒類と糖類その他の物品)となる。




機那サフラン酒の始まりは
明治17年(1884年)にスタートする。

創業者は吉沢任太郎


彼は造り酒屋の出自ではなく
農家の生まれながら類い稀なる商才により
機那サフラン酒を開発し成功し
巨万の富を得た人物だ。


彼が大正時代に造らせた土蔵は
国の指定登録有形文化財だ。
窓の扉が十二支の極彩色鏝絵が施される



機那サフラン酒の創業者吉沢任太郎伝説は
他のネット記事で検索をかければ
たくさん出てくるので省力。



僕が今回書きたいのは
明治以降に外国産の酒類が
多く輸入される事によって
従来の日本の薬草酒が
大きく変貌を遂げた事だ。

なぜ機那サフラン酒が成功したのか?

要は創業者の吉沢任太郎は時代を先取りする
先見の明に長けていたのだ。

その時代背景について書きたい。


その前に明治以前の例えば江戸時代の
日本における薬草酒というのは
多くは甘みが味醂ベースに
様々な薬効を求めたものが多い。

例えば養命酒や保命酒がそれだ。
保命酒については書き記した事があるので
気になる方は見てほしい。↓


機那サフラン酒の誕生は明治17年(1884年)

1600年代から続く保命酒や養命酒より
歴史は遥かに浅く誕生の経緯が違うのだ。



ポイントは機那サフラン酒の
機那→キナ(キニーネ)

機那サフラン酒誕生1884年当時というのは
ちょうどフランスでも
薬効を求めた薬用葡萄酒『キナワイン』が
流行していたのだ。

これには理由がある。

ワイン好きなら誰もが知ってる
ヨーロッパワイン史の事変である
1800年代中頃のフィロキセラ害虫による
ワイン畑の大損害。
この頃から良質のワインの量が担保できない。
故に出来の悪いワインも出回る。



そうすると何が何が起きるか?

①出来の悪いワイン

②少しでも良くしようと加工の技術革新
(後のVDLやVDNの製法にも寄与した)

③どうせならついでに薬効を求めてしまおう!
それを謳い文句にしたらより売れそう。

④キニーネの成分が当時脚光を浴びていた。
万病に効くらしい。
じゃあキナの樹皮をいれよう。

⑤科学的根拠が乏しい時代。勿論ある程度の
薬効はあるであろうがこの時代のフランスでは
このキナワインが飛ぶ様に売れる。

⑥ワインにアルコール添加、糖分を添加し
加工されたキナワインはワインよりも日持ちするという事は当時の脆弱な輸送手段にも
優しく輸送業者にも輸出入業者にも失敗がなく重宝された結果となり世界中に輸出される



因みにその時代のフランスキナワインが
現代にも残ってるブランドがこちら。

Dubonnet(デュポネ)
Byrrh(ビール)、Bonal(ボナル)


機那サフラン酒が誕生したのが
1884年(明治17年)
その十数年前には上記の
Dubonnet(デュポネ)
Byrrh(ビール)、Bonal(ボナル)などが
横浜や神戸などの外国人居留地において
外来品として出回っており、
これらは当時の新聞や広告で
【薬用葡萄酒】として紹介され
万病に効くとされ後に上流階級の日本人も
嗜まれた。


上流階級の日本人が嗜まれていたら
中流階級、下流階級に下りてくるのも
時間の問題であろう。



そう、国内生産が始まるのだ


国内生産第一号の
キナワイン及び薬用葡萄酒は
1881年(明治14年)に東京は浅草で作られた
香竄葡萄酒(こうざんぶどうしゅ)だ。

これは輸入ワインに
キナや蜂蜜、様々な漢方を配合し
甘く飲み易く
世間一般の日本人に受け入れられた。

因みにこれ、今でも売られている。
(キナはもう使われていない)

この会社はバーテンダーなら誰もが知っている
日本最古のBarである『神谷バー』の前身だ
後に1893年(明治26年)
電気ブランもこの会社から発売されている


日本初のキニーネ(キナの樹皮)を使った
キナワインが造られたのが
1881年(明治14年)東京は浅草で
香竄葡萄酒(こうざんぶどうしゅ)


その三年後の1884年(明治17年)に
新潟県長岡市でキニーネを使った
機那サフラン酒が造られたのは
創業者の吉沢任太郎の
先見の明があったのは明白。
この機那サフラン酒は昭和初期までは
世界に輸出するほど人気を博していた。

その後日本産キナワインは様々な所から
リリースをされていた。
皇国規那鉄葡萄酒
ミツワ規那鐵葡萄酒(ミツワ石鹸)
人参規那鐵葡萄酒(大黒屋⇨現メルシャン)
富谷 強壮規那鐵葡萄酒(戦前の渋谷の製薬会社)
ホシ人参機那葡萄酒(星製薬)
etc...


機那サフラン酒の場合は
今では日本酒を製造している兄弟会社の
新潟銘醸株式会社が原料用アルコールを
ベースに委託製造をしている。
当時はワインもしくは味醂ベースの甘みも
加えられ造られていたんじゃないかと考えられる。残念ながら当時の資料が乏しい

(機那サフラン酒の広告)





なぜ薬用葡萄酒は人気があったのか?




それは日本のワイン史と関係がある。
ざっくりまとめてみた

①日本の西洋を模したワイン造りというのは
明治10年代に国策として始まる

②日本にもすぐにヨーロッパで起きたフィロキセラの害虫被害が起きるなど国産ビールのように
国産ワインはうまくいかない。

③なんとかできたとしても当時の日本人には
ワインの酸味と渋味に慣れていなかった。
また流通の未発達、
技術未熟における腐造が起きる。

④その解決法として甘みとアルコール添加。
甘味とアルコールというのは保存性も上がり
保存技術、流通の脆弱さもカバーした。
例えば後の有名な寿屋(現サントリー)の
赤玉ポートワインの甘味果実酒の前身となる

⑤ 当時から外来品であるキナワインが
巷で健康になるという評判があり
国産品も甘味果実酒に
キナの樹皮及び生薬を浸漬させ模範。
ついでに健康まで謳い文句にしてしまおうと
いう業者が乱立。
(因みにこの時代は普通のワイン自体も健康酒としても捉えられていた)

⑥なぜ薬用酒がここまで流行したのか。
明治時代は疫病が流行していた背景と
当時の飲んで健康になる一石二鳥の大広告。
又、女性が公にアルコールを飲酒する事は
良しとされなかった時代に薬用酒というのは
あくまで薬なので公の場でもオフィシャルとされた。また甘みがあるので当時の女性にも受け入れられるのだ。


新潟県長岡で1884年(明治17年)に発売された
機那サフラン酒も当時飛ぶ様に売れた。

然しながらその後の第二次世界大戦以降の
昭和の高度経済成長期には
様々な輸入品により影を潜めたが
ここ数年において
長岡市が機那サフラン酒がある
長岡市摂田屋のエリアが
歴史遺産価値のある建造群のため、
『機那サフラン酒本舗保存を願う市民の会』
が発足し復興に当たっている。



機那サフラン酒は現在薬事法の関係で
キニーネであるキナの樹皮は使えないが
19世紀後期にフランスで流行した
キナワインが遠い海を渡って
日本の新潟でも造られていたという
歴史が辿ってきた史実と事実は
バーテンダーとして感慨深い




BenFiddichでも機那サフラン酒は飲めますのでいつでも気軽に遊びにきてくださいませ。

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