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田舎に残る共同蒸留所の世界観

共同蒸留所?というと日本だとあまり
馴染みがないかもしれない。

フランスの片田舎に行くと
今でも稀に存在している共同蒸留所。

共同蒸留所はみんなで一つの蒸留機を
共有して使う施設のことだ。

(↑フランスの片田舎にある共同蒸留所)

その共同蒸留所では何を作っているのかと
いうとフルーツブランデーだ。



ではフルーツブランデーとは何だ?



それは広義でありわかりやすく言うと




万物の果実は全てアルコールになる



ということ



一般的に思いつくのは
ぶどう由来のコニャック
次にリンゴ由来のカルヴァドスだろう



それ以外にも様々な果実のブランデーが
存在するのだ。
例えば

杏子
プラム
プルーン
洋梨
チェリー
ラズベリー
クワ
ブルーベリー
エルダーベリー
カシス
ミラベル
カリン
イチジク
etc......

そう、




万物の果実はアルコールになるのだ




それを糖化、発酵、蒸留して
無色透明になったのが
広義の意味のフルーツブランデーである。



現代においても
ヨーロッパの片田舎では
フルーツブランデーの
家庭蒸留という伝統がある。


えっ、家庭蒸留って密造じゃないの?

そんなことはない。

ヨーロッパの国々でも解釈の仕方と
法律は違うがこの家庭蒸留というのは
歴史伝統的に続いていたことなので
例えばフランスでは申告すれば
個人で年間100ℓまで生産可能である。

日本でも伝統的にドブロクを作ってきた人で
いまはどぶろく特区があるように
おばぁちゃんが梅酒を造るように
そこは柔軟になっている。

ではなぜ、フルーツブランデーが
家庭蒸留としての基礎となったのか?



答えは簡単だ。

日本の片田舎でもそうであるように
ヨーロッパの片田舎の農家の家には
果樹がある。


果実が実る頃、
近所へ配っても消費しきれない
余剰果実ができる


持ってても腐るだけなので
それをアルコールにするのだ。
寒いヨーロッパの冬を乗り越える為には
アルコールはとても重要だったのだ




19世紀にもなると小型の蒸留機というのは
比較的手に入りやすくなってくる



ただそれは比較的地主だったり裕福な
人々であった為、
小作人レベルというのは持ち合わせていない
そんな方々の為にも
19世紀には村のコミュニティに
共同蒸留所というのが多く存在したのだ

↑2017年に訪れた
フランシュ・コンテ地域にある
小さな村に存在する共同蒸留施設


屋内は19世紀から存在する

プラム、アプリコット、洋梨、リンゴ、etc....
地域のコミュニティの住民が
家庭で採れた余剰フルーツを発酵させて
持ち寄りここで蒸留する


最も古典的な直火焚き蒸留

こういった共同蒸留所というのは
フランスでは
第一次世界大戦の時に
多くは取り壊された。


時代的な嗜好品排他の流れと
物資不足により
蒸留設備を資源として
リサイクルする為回収された。



これは太平洋戦争末期の日本同様、
鉄不足で寺の鐘や鍋が回収されたのと
酷似してる



ただ、
いくつかのコミュニティは当時保護して
現在でもこういった共同蒸留施設は
少なからずだが
残っている。

なぜ保護をしたのか?

写真左下の水場導線が物語る

蒸留設備がある場所は蒸留した
アルコールを冷却する為の
水場導線が必ずある。





そう、100年前というのは
田舎であれば
個人宅の水道事情のインフラが
整備されていない時代
ここは炊事、洗濯場としても利用



いわゆる




江戸時代の長屋の共同井戸と同じであり

日本では井戸端会議という言葉があるように
ここフランスでも井戸端会議としての、
コミュニティとしての
人々の大切な場所であったのだ。

 


大切な場所だったから保護し、
この集落の共同蒸留施設は
第一次世界大戦中は蒸留機を隠し
接収されずに現存している。




今でも季節で収穫された果実の余剰果実を
アルコールにして、
蒸留する為に共同蒸留施設に
人が集まる。

当時は皆の心の拠り所の場所だったのだ。




ゆえに鹿山が惚れ込んで
弊社二店舗としてオープンした
フルーツブランデー専門Barである
Bar B&Fは
いまでも歴史伝統的に現存して
各家庭で家庭蒸留して作られる
フルーツブランデーは
今でも受け継がれている
本当の意味でのクラフトだ。




家庭で採れた余剰果実を
アルコールにして嗜好品として嗜む伝統文化

その土地の
その土地による
気候風土により育まれた
その土地でしかない
唯一無二の収穫された
果実をアルコールにして
蒸留してできあがるのが
フルーツブランデーである

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