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⑩ 台上腕立て前転

半世紀前の小学校時代の体育では球技はそれほどでもなかったものの、器械体操がからっきしダメな子どもでした。中でも3段くらいの跳び箱に向かって走っていって逆立ちしてくるっと前に回る ”台上腕立て前転″ と名付けられていた運動では、一度たりとも尻が上がったことがありませんでした。担任の先生が器械体操にことのほか力を注がれる方で、通信簿は毎学期「2」ばっかり。授業で体操服に着替える時から、それはもう嫌で嫌でしかたがありませんでした。

自分とは反対に体の柔らかい女子達が、溌溂としてくにゃくにゃ・くるくるとマットの上を飛び回っているのを横目で見ながら「なんでこんなに惨めな時間を持たなければならないのか」とコンプレックスの塊と化していました。

でもそのことを馬鹿にする同級生は一人も居ませんでした。担任の先生が見捨てずに居てくださいました。おかげさまで(当時でいう)ウルトラC級の運動能力を持つ女子と小学校のクラスの中でカップルとして認められていたくらいです。おかげさまで運動神経超音痴の経験は以後の人生にマイナスになることはなく、自分の人生の根っこを作ってくれたと思っています。

以後の人生においても味わったいくつもの敗北感や挫折感にも完璧には打ちひしがれることはなく、いつかどこかで報われると思うことが出来ました。そしてもっと重要なことは、身の丈を知る機会を与えられたことで逆にたまさか何かの分野で「僕ってすごくない?」と勘違いしそうな気持になったとしても、 ”台上腕立て前転″ が出来ない小学生時代の自分が冷ややかに自分を見ることが身についていました。

ガキの頃にモノサシがたくさんあることを知ることができたからだと思います。小学校の担任の先生の奥深い教育のおかげだと確信しています。おそらく国語算数理科社会が苦手でもマットの上で飛び回っていたスターのような同級生は、勉強コンプレックスがあったとしても何にも恥じることが無い大人になられていると感じます。すごい先生の元で育てられたと同級生のほとんどが感謝しているように感じます。50年ぶりの同窓会に出るとほんとうにそれを痛感します。同級生はみんな、たとえささやかであっても「自分」を持っています。

自分の場合、幸運にもその後の学生生活やサラリーマン生活でもひとつのモノサシでは計らず広い視点で教育してくださる先生や上司に出会うことが出来ました。これから大きくなっていく孫たちもそういう懐の大きな教育者に出会ってくれることを願ってやみません。