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チ 孫に うっせぇわ と教わった

去年は 香水 ばかり口ずさんでいた孫たちが今年から変わりました。グーグルへの命令は「アレクサ、うっせぇわかけて!」

こちらは流行歌に関心がないので、何のことかわかりません。そこでお兄ちゃんのサッカーの練習に送っていく道すがら歌詞を教わりましたけど、誰にうっせぇわと言ってると思うのかと聞いたら自分自身に言ってるように感じてるそうで、全体の歌の意味はわからないようでした。小2です。

そこで自分で検索してみると、ネチネチ注文を付ける上司に言ってる歌詞だとか・・。またそこで3つのことを知りました。まず作って歌ってるのは女子高校生とか。どこで知ったのかサラリーマン社会のことがわかってる。あともちろんウケを取るのも上手なんだなと思います。

2番目に孫の様子でも自然に気付きましたが、小学生の間でとても流行っている。意味ではなく単語とリズムだと思います。そんなに驚くことはありませんが、おもろいもんが流行るんだなぁと普通に感じました。

3番目に、小学生の親たちの3人に1人がこの歌を子供が歌うことに抵抗感を感じているということです。ということは3人に2人は許容しているってことです。抵抗感を感じているという3人に1人の言い分は主に言葉遣いではないかと、それはわかります。そして許容しているという3人に2人はどんな意見かなぁと思いました。

ネチネチ注文を付ける上司? わたしにとっても居なかったと言えば、うそになります。それよりも本当にお世話になった、大切に考えてもらった上司や先輩のほうが圧倒的に多い恵まれた社会人生活でしたから、ネチネチさんはわたしにとっても間違いなくうっせぇわさんでした。ですから子供が勧善懲悪ソングとして口ずさんだとしても、別にいいんじゃぁないかと思うのが個人的な意見です。

親にとって子供は恵みだというのが自分の意見で、子が親に産んでくれてありがとうと思うより、親が子に生まれてくれてありがとうと思うほうに「豊かさ」を感じますが、会社の上司と部下はどうでしょうか?

親子と同じ理屈なら、まず先に部下についてくれてありがとうのほうが「豊か」です。おそらくわたしの面倒を見てくださったたくさんの尊敬すべき上司もそういう姿勢だったのではないでしょうか。だからこそ丁寧にご指導くださり、心に残る言葉をかけてくださった。それを実感したわたしがいつまでたっても「上司でいてくださってありがとうございました」と思っていられる。ネチネチさんは、逆なんだと思います。

そんな目線でこの女子高生の歌ううっせぇわを想うと、この子は社会に出ていい上司に恵まれるといいなという感想になります。許容しているという3人に2人はどんな意見なんでしょうか?

前にも書いていますが、親子の関係について以下の考えを持っています。

子供を持つのは親の都合、子供を育てるのは親の権利・義務・責任。具体的に固有名詞としてのこの子を持とうとして持ったのではなく、生まれたらたまたまこの子だった。この子として生まれてくれたのは自然の不思議な力で、その力を神仏と定義してもおかしくない。逆に子供側からすれば、生れてきたらたまたまこの自分だった。自然の不思議な力で、その力を神仏と定義してもおかしくない。
子供は子供の自由がある、その自由を豊かに味わって欲しい、幸せになって欲しい。なので正しい目を持たせてあげたい。すこし想いを言うなら、優しい子には育って欲しい。

・・うっせぇわっていうくらいの言葉は、小学生の時から身につけていたって悪くないと思います。