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42 お数珠 お念珠

若いお坊さんから、教わったお数珠の話を書きます。彼は先輩のお坊さんから教わったとか・・。

お数珠の珠は「今まで出会ったことがら」や「今まで出会った人たち」をあらわすと教わりました。それは「良いことも、悪いことも」や「好きな人も、嫌な人も」様々あるけど、私がオトナになるのに大切なご縁。お数珠に両手を通し、その繋がりに私の「命」が包まれていることを感じ生きていきましょうねというお話でした。

勤めていたお仏壇屋では、お数珠ではなくお念珠と呼ぶことが多いです。お話しくださったお坊さんの宗派では「『阿弥陀様が創造された』とお釈迦様が説かれた場所」を浄土と呼びます。私的にもっとも単純に定義すると「浄土とは『オトナ』の住むところ」になります。

お話は、まだ続きます。お念珠の根もとにある大きめ親珠を阿弥陀様に見立てましょうとのこと。お念珠に手を合わせると、自然に頭が下がります。すると「有難うございます」と自然に口に出ます。有難うが口に出た時に「足元にあるしあわせに気づき、しあわせを拾う」ことができます。手を合せて「拾う」と書くのはそういうことだそうです。

お数珠のいわれには諸説ある中で、このお話はとても味わい深いです。私を省みれば、こんな感じでぴったりです。

コンプレックスを抱いて生きていました。多少、苦手な方に出合いました。転職も何度か経験しました。でも一方で、素晴らしい上司や仲間にも恵まれました。人や命のつながりを大切にしようという理念を持つ会社に身を置きました。何人もの孫に囲まれ、かけがえのない家族の輪を与えてもらい。出会ったお寺の仲間とともに、お坊さんから法味を味合わせていただきました。拾ったしあわせは握ったまま、もっとオトナに近づいてから死に切りたいと思います。

J 出会ったもの

『今の私はこれまで出会ったものすべての賜りものである』教わった話とうり二つ。大阪富田林にある名所「じないまち」の掲示板で見つけた、団体の標語ポスターです。そういえば曽野綾子さんのエッセーにも同じことが書かれていました。曽野さんは敬虔なクリスチャンです。