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コ がばいばぁちゃん

築地本願寺教務所に事務局を置くわたしたちの会には毎年2月と5月に数100人規模の研修会や法話会があり、3年前の2月は講義で「お念仏のみ教え 法然聖人と親鸞聖人」と題してとらえかたについて極めて正確に学習をしました。5月は法話がありご講師は「2月が正確な学習ならば、逆にみ教えに生きた人の姿をゆるやかに楽しく紹介したい」という意図で "がばいばぁちゃん" をお話しくださったのです。

つい先日ウエブ法話でふたたび 同じご講師から "がばいばぁちゃん" のお話を聞く機会に恵まれました。人気漫才師が佐賀に住むおばあさんのことを描いたこの作品は書籍に始まり・演劇・映画・TVドラマに展開されて評判になりました。随分前にDVDで映画版を観たはずですが、調べるとコミックも出ていたので、法話を味わいなおすつもりで11巻の中古本をメルカリ買って読んでいます。

"がばい" とは "非常に" の意味だそうで、非常にすごいおばぁちゃんのことを正確に表現するなら、"がばいすごかばぁちゃん" になるそうですが、タイトルとして "がばいばぁちゃん" に短縮したことで馴染みやすく大ヒットにつながったみたいです。コミックにはあまりにもたくさん驚かされる話があるので、全てがノンフィクションなのかどうかはわかりませんが、ともあれ "がばい" 話が溢れています。

それらから見て取れる主人公の特徴は
・無いところから始める
・与えられたすべての恵みに感謝する
・与えられたものからこしらえる
・となりの芝生が青く見えない
・人に過度な期待をしない
・我が子や孫のことは、自分が責任を持つ
・なるようにしかならないが、その範囲でなるように努める
・もしならなかっても、悔やまない
・人の縁をよろこぶ
といったところでしょう。

まさに阿弥陀様の救いの本願に身も心もまかせて、明るく強く生きる浄土真宗門徒の典型的な姿であることから、ご講師が法話の題材にされたわけです。5年ほど前に "門徒推進員. 中央教修" という3泊4日の集いでわたしの班を担当してくださった、佐賀県の若い副住職さんと、"浄土真宗らしさ" っていいですよねーっていう会話をしたことが思いだされます。

自分の環境を省みると "がばい" というスケール感はありませんが 「となりの芝生が青く見えない」のような上述した要素を、父や父の兄弟姉妹はみんな持っていたと思います。そしてそのことは、若い頃はそうでもありませんでしたが自分が歳をとるにつれて、いい味わいとなって自分にも栄養になっていると思います。ただ自分の場合の問題は、この味わいが困難からの逃避に繋がってしまうことや、欠点であるあきらめやすさに繋がってしまうことは隠せません。

その点 "がばいすごかばぁちゃん" は逃避や諦めとは無縁で、それを見て育った有名漫才師さんも努力の人だったんだろうなと感心する次第です。