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⑦ 〇〇〇〇さん、立つ鳥 跡を濁す

たまたま読んでいる本に「自らの心に巣くう悪を意識してもそれを文章に言い表そうとすると、他者の目を気にした思惑が入り込み、往々にして表面を取り繕った物言いになってしまう。ほんとうに自らの悪を細大漏らさず正面から見つめ、それを自らが覚ること以外は考えていない人は、他者の思惑など関りが無いはず」という、非常にキツイ表現が載っていました。

挫折 (-.-;) 醜態 (/ω\) 加害 φ(._.) というマガジンの項目で書き残そうとする自分は、何処にいるのか。書くことによって許してもらおうというズルさが見え見えではないかと思ったり。いや書かなければ余計に闇に葬れると思って書き始めたのではないかと思ったり。思いはループします。特に誰かに配慮せず傷つけた負の思い出はなおさらです。

でもやはり書いておくことにします。そうしないとほかのマガジンの項目が空々しくなると友人の言葉に気付かされたからです。次の思い出は、負の中でもかなり重い負です。

ある方からの年賀状に「〇〇〇〇さん、立つ鳥 跡を濁す」という一文が書かれていました。わたしが自己都合退職した職場の方からでした。やり残した仕事、その始末ぶりで仲間に多大な負担と迷惑をかけたことを指摘する内容でした。おそらくその方は自分だけではなくチームの声を代弁しているのではないかと思いました。状況を詳しく書くのは控えますが、酷く傷つけたと確信しました。ご本人と部署の責任者にメールで詫びを入れました。会いに行くべきだったかもしれませんがしませんでした。それぞれから返信がありこのやり取りは終わりましたが、20年経た今もこちらの記憶の中の傷も消えてはいません。加害者はそういうものだと思います。

罪滅ぼしは、そのあとの生き方でリカバーするしかありません。でも、またそのあとも誰かを傷つけることをしてきたと思います。そしてこの後もするかもしれません。ただただ少しずつ修正するしかありません。