見出し画像

イ 自分がわからない別の世界があるかもしれない

おかしな先輩がおかしな事ばかり仰るので、ひょっとしたらおかしな先輩はすごい方かもしれないと反省して、そのおかしなことが始まった築地本願寺の仏教文化講座に通いだしました。何だかわからない内輪にしかわからないありがたい話よりも、外側から理屈を見たらどうかということです。勤務先の若い人事担当さんが「○○さんの場合はそちらからがいいかもしれない」と感想をくれたのも、後押しになりました。一年間ほど通ったと思います。

そこでは「禅と念仏」とか「人気作家の書いた親鸞」などの講座を受講し、最後に築地本願寺の責任者(輪番)さんの講座を聞くことになりました。そこで、目が覚めました。それまで感じていたことが誤解だったことを思い知りました。

見出し写真はその日のレジュメに、聞きながら感銘したことを書きなぐったものです。日付を見ると19年前です。これが人生の再スタートだったと思います。フレームに入れて机の前に飾りました。特に「仏教は意味の宗教やなぁ」という言葉が耳に焼き付きました。

馬鹿になって卒業する学校

これはもう手放すわけにはいかないと、今度は「中央仏教学院」という学校の通信教育を3年間受けることになりました。通信教育とはいうものの入学式は京都の西本願寺に集合しました。そこでまた学長さんがおかしな話をされました。その数か月前に通信教育の卒業式で学生さんが話したスピーチの引用です。「学校といえば学びを終えて賢くなって卒業するのが普通ですが、わたしは自分がいかに馬鹿なのかがわかってこの学校を卒業します」というものでした。

これは先輩が「ハッハッハ・・。眠りながら法話が聞けるなんて、素晴らしいですね」と仰ったのに継ぐものでした。ということで、しだいに暮らしのまわりに仏教が取りまき始めることになったのです。