15 大阪から見ていたのとは違う東京や横浜
昨年行ったニセコのホテルに掲示されていたこの言葉は、見るもの聞くものすべてが新鮮だった北海道一周旅行で心底から痛感した現実でした。
でもきっと旅行に限らず人生にもあてはまるんです。note に書くためにいろいろ試していると、頭の中にある思い出とそれとは別に写真フォルダの中にある記録に楽しい発見があります。
大卒2年目の再就職。石の上にも3年という我慢もできすにいただらしない自分が、たまさか新聞広告で知ったのが東京の電気メーカーの社員募集でした。駄目で元々と開き直って中途採用試験を受けました。営業系の部門の面接試験で、学校の先生の「人生におけるエネルギー保存の法則」の教えを受けたあとだけあって、口から出まかせのように「船舶の計画に携わったので、営業企画も同じみたいなもんでしょ」と無謀にも答えてしまって受かってしまいました。
大阪と言っても北大阪なので「コテコテ度はボチボチ」だったはずですが、頭の中にはあまり馴染めない東京や横浜がありました。アンチ巨人やアンチ標準語、へたをするとアンチ徳川のポジションすらとってしまっていて、何も知らないくせに薄っぺらい印象を持ち続けていました。最初の就職も大阪から西に行きましたし、そこから大阪を通り過ごして東京や横浜に住むとは望んでいませんでした。
しかしこちらに出てくると独身寮の近くのおしゃれな街に餃子の王将もあったし、会社に行けば地方出身者の集まりだったし、江戸川育ちの10代のバリバリの女子がお洒落で人形みたいに可愛いのに向かいに座ったら、田舎モンの自分に対しても全然ツンツンしてなくてなんとフレンドリーなことかと。
そうもいうけど一方では寮から歩いてすぐ近くに、素晴らしいコスチュームのウエイトレスが居るお店もあったり、それはそれは流行や情報の発信地であることには間違いなく、すべてがごちゃ混ぜになっている気がしてアンチだったはずなのに住めば都になりそうな感じでした。
結局そのあと、東京の城南地区と横浜の住宅街をあちこち引っ越しながら40年以上暮らしています。数年前に先祖のお墓も東京のお寺にお引越ししました。たまさか見つかった社員募集の広告がその後のすべてを変えることになるわけですから、わからないもんだなぁと思います。
「人生は旅だ」っていうのは、こういうことかもしれません。