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48 今までのことは良いから、自分の時はこうして欲しい

この言葉は、朝のワイドショーで耳にしました。

ワイドショー番組はほとんど観ないか、観てもBGMとして聞き流しています。ただその日は功績が大きかった元総理大臣のご逝去にあたり、政府と与党が合同で大きなお葬式をしたことの賛否を論じられていましたので、どう取り上げるのか観ました。たしかに現代においてはすこし時代錯誤を覚えるような規模で、物議を醸すのは当然かなと思っていました。

いろいろな意見が出たあと現総理大臣の意識を問う話になり、いつものワイドショーようにコメンテーターの口元を尖がらせる発言が始まるかなと思った時、ひとりのお笑いタレントさんが「総理は今までのことや今回のことは仰らなくていいから、自分の葬儀の時はこうして欲しい(つまりわが身においては大がかりなことはしないで欲しい)と、仰ってくださればいいんですけどね」と発言されたので、ほっとした気持ちになりました。芸人さんの持つ器量とは、なるほどこういうことかと感心しました。

今日のこの投稿の主旨は政治家のお葬式のありかたに関してではなく、議論における相手への尊厳に関することをどう考えるかについてです。ワイドショーの討論で人格まで誹謗するような話し方や、恨みつらみを感じる言葉、また下を見下ろすような姿勢がテレビから聞こえてくるのは好きじゃないのです。国会中継の代表質問風景も、聞いているのがしんどくなることがよくあります。自分にも思い当たるふしがあるからしんどいのかもしれません。でもこのタレントさんは、世論に広がっているであろう双方の声もバランスしながら、過去の時代背景も踏まえて発言されたと感じました。

誰も批判せず、自分の意見を堂々と述べられたと聞こえました。もし実際に現総理大臣はこう言われたら、すなおに自分の意見をまとめる方向に知恵を働かせられるのではないかと思いました。かつて仕えた役員さんに「議論は180度違うのでなければどこか交わるところを探すことはできる。数学のベクトルの図を思い出してごらんなさい。179度開いている矢印は足すと前を向くでしょう」「とにかく議論は重ねていくべきだけど、人格まで誹謗するような話し方は、180度逆に進むのでやめましょう」と言って会社をまとめておられた偉い方が居られたことを思い出します。