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鋭敏と包含のバランスを保つ

上を見る。横を見る。
今まで見えなかったものが、ずっと目に入ってくる。
台湾も冬に突入する。寒くなってきた。寒くなると、感覚が敏感になる。

この、今まで虚っていたものが鋭敏になる感覚がとても良い。
だから、冬は好きな季節だ。

あと4ヶ月で24歳になる。
40歳で寿命を迎えるとしたら、生きていられるのはあと16歳。
実は、「自分は40歳で死ぬだろう」と精神上の制約をつけている。

自分は一つのことを続けることはできるが、世の中にはリミットがある。
全てリミットを意識しないといけない。そう高校生活を通して感じた。

もし100歳まで生きることを考えていたら、海外で働く決断をしていない。そのうち行けるだろう、英語を勉強してからでいいや、と思っていたかもしれない。

でも40歳で亡くなると仮定する。
あと16年で三途の川を渡る。亡くなった祖父に会えるかもしれない。
200-300年前に亡くなった、明治時代と傑物と議論できるかもしれない。

そんな感じに思いを馳せてみる。
「このチャンスは人生で最後かもしれない」と思うようになる。
だから決断できた。だって、残りの人生は15年(仮)しかない。

意表

知人に「べんてん、多分だけどHSPだと思う。」と指摘をもらった。
その知人は家族関係者にHSPの方がいるらしい。
親族の方と自分を重ねて、類似している特徴を感じ取ったらしい。

HSPの存在は認知していたが、非常に意外だった。
少なくとも自分のことをそう思ってはいなかった。
(HSPのイメージと自己認知イメージにズレがあった)

しかしHSPにも活発なHSP型がいるらしい。
さらに自分は、今年のはじめに調子を崩している。
一理あるかもしれないと思った。

もしそうなら、働き方を最適化していかないといけない。
日本に戻ったら正式な診察を受けてみようと思う。
杞憂でも、自分のメンタル特性の本質を調べることは有意義かもしれない。

確かに、周りの情報が気になって仕事進まないことがある。
考えが分散し、うまく没入できない。
それでも仕事は進むが、深く考えていないから、作業になっている。
それではいけない。

仕事の定義は、世の中に価値を生み出すことだと思う。
深く考えて、価値創造をしないといけない。

P.S
人間関係とメンタルの結びつきが大きい人は見てみると良いかもしれない。

電話

昨日友人と2hほど電話をした。
将来やりたいことをメインテーマとして語った。
Noteの一番上のトピックに繋がっている。

社会人生活は、好奇心のままに従いやりたいことをやろうと思っていた。
しかし期限は決めたほうがいいかもしれない。
さらに、本当にやりたいことに向き合って、打算的に動かないといけない。なぜなら、人生は有限なのだから。

やりたいことはたくさんある。
それらに共通する最抽象のレイヤーは、
自分なりの価値基準を証明したいことだと思う。
(下に続く)

正論で説明できない勝負をしたい

「正論」とは何なのだろう、と考える。
一般的に正しいことが正論なのだろうか。

正論は、「一般的には正しいが、個人に適応すると正しくない」という逆説性を孕んでいると感じる。例えば・・・

「親は大事にするべき」とか「人付き合いが正しい」とかいう正論がある。
とても正しい。

しかし、親に虐待された人はいる。いじめられて、人が怖い人もいる。
その人たちの過去を全て聞いたとする。
少なくとも僕は、正論を投げられない。それはその人たちにとって、優しい正しさではない。

どんな人の裏側にも、人に言えないエピソードがある。
それは、正論とは相容れない。
世の中に、正しいことなんてないのかもしれない。

昔からそんな意識を持っていた。
大学で哲学を学ぶと言った時に、ちょっと反対されたのを覚えている。
お金や仕事に繋がらないと言われた。正しさの極致だと思う。

だけど、そんなことはどうでもいい。
哲学なら、自分が抱いている悩みや疑問に応えてくれると思った。

一般論とは別の戦い方をすることに、躊躇しなくて良い。
周囲から強制されるべき正しさなんでないのかもしれない。
周囲から見た時に無様でも仕方がない。
みんな、一般論とは別の戦いをしているのだから。

「対正論」の具体化

ただ、現にパラダイム的なものは存在する。
どの社会でも、通念として「良いもの / 悪いもの」は存在する。

日本だと、資本主義社会が代表的なのかもしれない。
マネタイズできるものは良い。有益性がわかりやすいものはいい。

しかしマネタイズできなさそうなものは?
有益性がわかりにくいものは?

そういった「一見価値はないが、自分は価値があると思うもの」に価値を付与していく活動をしていきたいと感じた。BookSessionはそこに紐づくものでもあると思う。

大きな夢だが、VCとかも面白いかもしれない。
非営利団体的なことも、ベクトルが向いている気がする。

あるいは既存の枠組みに当てはまらない、新たな存在を作ることも面白いかもしれない。文化人として、有益性と紐づかない大事なものを提示する選択肢もあるかもしれない。

残り15年と考えても、15年はある。
昔と今では自己効力感が違う。

24歳になるまでをタイムリミットとして、少し考えていきたいと思った。

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