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社会人4年目最終日

大学で過ごした4年間と社会人生活が並んでしまった。

長かったような、短かったような。
とはいえ、これからが本当の戦いであるような気がする。
野球で言えばやっと1回が終わったくらい。

そんな1回を振り返ってみたい。

社会人の滑り出しは順調だった。
大学生活の大半を某大手企業のインターンとして過ごしていただけあって、同期の中でもトップにいた自負があった。
実際に新卒研修のコンペでも表彰されていた。

そんな鼻がビンビンに伸びた状態で本配属。
職種は法人営業。
組織対組織でぶつかるこの戦場において、インターン上がりのフレッシュマンなど草野球少年がプロ野球の打席に立つようなものだった。

ホントに、なーんにもできなかった。
何にもできなかったけど打順は回ってくるのが法人営業の良いところでもあり、キツイところでもあった。
そんな僕の最初の打席が、1発 数十億円の案件だった。

初任給20万ソコソコの自分にとって、この数字の大きさは圧倒的だった。

圧倒的な相手に実力不相応ながら、なんとか騙し騙しこなしていた。

このプレッシャーに加えて、並行していたプロジェクトではメンバーとの反りが合わず、気づけば夜は眠れず、朝は吐き気と動機と戦う日々になっていた。

そんな中、ガチガチに打ち合わせが組まれていたある日、ちょっとしたトラブルが発生した。
それまでの蓄積もあり、どうしていいかわからずパニック状態に陥り、そのまま戦線離脱。

今覚えているのはこれくらい。
おそらく適応障害にでもなっていたのだろうが、詳細は思い出せない。
ただ、暗闇を何とか自分で道を探しながら歩いていた。そんな日々だった。

本業はこんな状態でありながら、当時の上司は寛大で、仕事と私を切り離すように、私を東南アジアへ飛ばした。

そこで日系人10人以上と出会い、様々な人生観に改めて触れた。
留学経験があった自分だったが、ドン底にいたからこそ、触れたものの自分への刺激がひとしおだった。
このたった数日が立ち上がるきっかけになった。生きる道はここだけではない、逆にまだ今の環境でも頑張れるのではないか、と思うきっかけになったのだ。

それから、この数十億のプロジェクトは戦略的撤退という判断になったのだが、ここで得た経験は後に自分の糧になった。


まもなくコロナ禍が始まり、2年目は在宅でのプロジェクトの後方支援。ここで様々な先輩の仕事ぶりを見た。

いよいよコロナも落ち着き始めた社会人3年目には、再び最前線に立つようになった。これまでの答え合わせをするかのように順調であった。

入社直後の自分は、周りへの頼り方も巻き込み方も下手くそだった。
ネガティブな事象へも落ち込み方が半端じゃなかった。
トラブルを過大評価しすぎず淡々と処理する。失敗で自分を責めすぎないという、メンタルの保ち方を身につけられた。

あの日の自分には、完全に逃げ出しても良かったとは思うが、自分が思う以上に絶望的な未来は待ってない。

これからの4年間は新人から中堅の世代に向かってく。
自分はさらに成長しているのだろうか。

すべての19卒の同期に、4年間お疲れ様でした.
そしてこれからも程々に頑張ろうの気持ちを込めて。