潟の記憶と語り

画像1 生活の場ではなくなってしまった「潟の記憶」が語りと共に蘇る。
画像2 赤塚漁協の方たちの生業として残る佐潟のハス採り。 真夏の川舟は、蓮の葉の中で湿気がすごく、すぐに汗ぐっしょりになる。
画像3 昔の佐潟は水が澄んでいた。 魚が冬眠して、泥の中で呼吸するのがよく見える。 その穴を見つけて漁をした。 普請でやる地引より、ひとりでやる漁が楽しい。 昭和30年代、市が土地を買い上げて水辺が荒地になると、年々潟が死んでいく。
画像4 足でしごいて蓮根を引っこ抜く。 当時母親の日給2日分になった。 もぐるのが厄介らったれも。 かじかんだ手でも、真鮒は掬っちまえば全部採れた。 たくさん獲って、川舟の床が見えなくなる。
画像5 乾田化する前の田んぼは、土畦でなく茅畦だった。 私らの世代は、そこで子どもの時分よく魚とりをした。 もっと下の世代だと潟へ行かないと採れなくなったんだ。
画像6 菱の実の収穫は色で見る。 年寄りは黒ずんでくる。若いのは青い。頃合いのものだけ取る。

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