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風土に息づく、小石原焼。

「こんにちは!」
見知らぬ女の子が、わたしに駆け寄ってきた。
何気ない感じで挨拶をした。

それは、ごくごく自然に。
まるで、息をするように。

緊張なんてことばは、
そのきらきらとした笑顔からは、
まったく感じられなかった。

おどおどしながら、わたしも返事を返す。
言った後は、さっぱり気持ち良い気分になっていた。

日差しが照りつける夏の日に、
おいしい水をごくりと飲んだ、
そんな気分だった。

それと同時に、凝り固まっていた気持ちがほぐれたような気がした。
少し肌寒い日に、味の染みた大根をパクッと口に入れた瞬間に感じる、懐かしい安らぎにも、
どこか似ていた。

なぜか分からないけれど、その女の子に
「ありがとう」と言いたくなった。
いまも、分からないけれど。

当たり前のことばほど、しゅんでくる場所だった。

福岡県朝倉市東峰村。
400年の歴史を持つ小石原焼の、陶の郷。
約50の窯元が立ち並ぶ。

三連休を使って、
ちょこっと遊びに行って来ました。

場所へ降り立った瞬間、
さわさわと風の音が聴こえてきた。
でも、ただの音ではなくて、
澄み切った、淡く、彩られた音だった。

「あっ、ここ好きだ。」

ひさびさの、迷いのない感覚。

見えるものすべてが、自然体だった。

どこまでも広がる青い空、
足早に流れる白い雲、
にょきにょき生える道端の草、
道路脇に流れる澄み切った湧き水。

聴こえる音すべてが、
愛おしく、
美しく感じた。

造られた風景はひとつもなかった。
自然のなかに暮らす人々の生活が、
風景として、馴染んでいた。

ある窯元にいくと、ふんわり漂うあまい匂い。
匂いに誘われて、少し奥へいくと、
甘酒の振る舞いが。

お代は西日本豪雨の募金とさせていただきます、という言葉とざるが置いてあった。

200円か250円くらいを、ちゃりんと入れた。
いつかここで1000円札とかを何気なく入れられる人になりたいなあと、思う。

子供が駄菓子屋さんで、欲しいお菓子の前から目が離せなくなるように、わたしがじーっと立っていたのだろう。

お母さんが気づいてくれて、
にこやかに甘酒をくれた。

おたまでひとすくい。
ぽとぽと、木綿色の甘酒が、
白濁色の小石原焼に落ちる。

甘酒のあたたかさがうつわにじんわり染みる。
いただきます、とうつわを受け取った。

しょうがの風味がすっと香る。
ごくりとひとくち。ん、美味しい。

美味しいという言葉が、いちばん似合う味。
余計な言葉はいらない。
酒粕を購入。人間は単純だ。

別の窯元にいったとき。
岡山の話をしていると、
レジにいたお母さんがいきなり。

「岡山、雨大丈夫やったと!」
と声をかけてくれた。

記憶に新しい方もいるかもしれないが、
朝倉市は1年前、
豪雨で大きな被害を受けた地域。
家の倒壊も起こり、亡くなった方もいる。

窯元も大きな被害を被ったそう。
復興には大変な労力と時間がかかっただろう。
今も道の端々には、土嚢が積まれている。

「すぐに募金したよ〜。涙が出たわ、テレビ見てたら。」

きてよかったと、ふとおもった。
この、やさしさに触れられただけで、
ここに来た甲斐は十二分にあったと。

やさしいは、つよさだとよくいう。
ゆるがず、つよい。
改めて、感じた瞬間だった。

小石原焼は、民藝運動に大きな影響を与えたというイギリスの陶芸家バーナード・リーチがその魅力に大きく惹かれ「用の美の極致である」と絶賛した、伝統工芸品。

刷毛やかんなをつかって模様を描き、
シンプルな中にも遊び心をくすぐるデザインが特徴的なうつわ。


そこには暮らしに対する、
飽くなき探究心、好奇心が垣間見える。
わざわざ手間隙かけて、模様つけるなんて、
なかなかのおせっかいだ。

でも、きっとその根底にあるのは、
いいうつわを使って欲しい、暮らしを豊かにしたい、というやさしさがあるから。

陶器はやっぱり、奥深くて、おもしろい。
小石原焼は、風土に息づいていました。


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