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カレー味のウ○コを選ぶ自由

こんばんは。id_butterです。

タイトルからお下品で申し訳ありません。
子どもの頃、めっちゃ盛り上がった究極の二択。

A.カレー味のウ○コ
B.ウ○コ味のカレー

どっちを選ぶか、ではなく、どっちを選んでもいい。
これが今重要だと思っているという話。

本当に目の前にこの二つが置かれていたら?
どちらを食べるかをわたしが選ぶとき、だれも口を出してこないと思う。
「カレー味のウ○コにしなよ」とか言ってくるひとはいないだろう。

だって、だれも責任が取れない。
「カレー味のウ○コ」を選んで食べたとして、うわぁあの人ウ○コ食べたよ、って思われるリスクがある。
「ウ○コ味のカレー」を選んで食べたとして、その後めちゃめちゃ臭くなるっていうリスクがある。(いや、そもそも食べられるかな。)
「いや、絶対に食べない」って言い張ったとして、誰も無理やり口に入れてこないよね、多分。
本人にしか選択できない、本人に選択する自由があることを否定する人は少ないと思う。

「カレー味のウ○コ」を選ぶのか「ウ○コ味のカレー」を選ぶのかは個人の自由であり、選択した本人がそのリスクを負うのが原則だからだ。
それをみんな知っているはずだ。

それなのに、最近その自由が尊重されてないことが気にかかっている。
個人の自由を侵害しようとするひとが増えたことは否めない。

顔に四角い布をつけるかどうか、腕に針を刺して液体を流し込むかどうか、制限下で外で飲食するかどうか、年末年始に田舎に里帰りするかどうか、店を閉めるかどうか、この数年間に提示されたたくさんの選択肢。

わたしはどっちを選んでもいいとおもっている。

どっちが正解とか間違いとかいいとか悪いとかはない。
そのひとがそうしたい、そうしたくない、好き、嫌いだけが大切で、それが尊重される社会であって欲しいと願っている。

だって、誤解を恐れずにいえば、犯罪を犯す自由がある。
もちろん犯罪は法律で罰せられる。だけど頭で計画しただけでは自由は奪われずに、事後で罰せられるというのが今の社会の限界である、それが事実だ。実際に、様々な事件が起こっているということの単なる解釈であって、犯罪を推奨しているわけではないことをご理解いただきたい。

ただ、この発言をやめなかったくらいには、自由は尊く、大切で守るべきものだと思っているし、今のままでは制限が強くかかるであろうと危惧している。
そして、上記の自由が現在の社会で存在している事実は、今まで誰かが自由を守ろうと努力してきた証なのだと理解して感謝している。

そして、この「どっちを選ぶか」ばかりに気を取られて、反対側の選択肢を選んだ側との分断が起こってしまうことにも違和感がある。

そんなことで?
ほんとうに?
今まで育んできた関係に意味はなかったんだろうか、と。

もう一つ。
カレー味のウ○コにしろウ○コ味のカレーにしろ「どっちも絶対に食べない」って言い張ったにしろ、別の選択肢を無理やり選ばせようとするひとが出てくる。
そのときはそのひとが脅されているとか、危険を感じているとかそういう異常事態が発生している。
そういうときは、慎重に今そこで何が起きているか冷静に一歩引いて見極める必要がある。


カレー味のウ○コを選んだらともだちが減るだろうか。
…減るかもしれない笑 えんがちょ。
無理やり食べさせてくるひとがいたら、どうしよう。
…蹴り飛ばして逃げる、多分。

まぁ、いっか。
今のところどっちもされてない。
されたらそのとき考える。


▼これはどっち派? ちなみにわたしはたけのこ派です。


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