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福祉施設のタメ口はアリか。

入居者本人からクレームになることはほとんど
ないけれど、私がどうしても気になる

「福祉施設の若い職員の利用者へのタメ口」。

だいぶ前、ある特別養護老人ホームの理事長に
聴いてみたら

「家族のように接しているのです。
 孫のように可愛がって貰っているのです。」

「認知症の方には敬語ではご理解頂けないですし。」

なるほど。

でも、
ベルテンポも家族のように接しているし、
認知傾向のお客様だっているけど、
私は、お客様に「タメ口」は無理です。

年長のお客様にタメ口?
私は、あり得ない。

なぜ福祉事業では許されて(いるか判りませんが)サービス業である旅行事業ではあり得ないのか。

私のこだわりと言うより、
私がタメ口でお客様に話しかけたら、
お客様は違和感を持つでしょう。

ご家族も「何だ、この偉そうな旅行会社は」
と思うでしょう。

私だったら、そんな旅行会社、嫌です。

●なぜ福祉施設はOKなのか

命に関わるお仕事をされている現場の方に、
外野席の人間が偉そうに語る、
不快な話かも知れませんが、お許しください。

「何となく違和感がある」

ことを、
私はそのままにしておきたくないのです。

「ああ、そうか。だからタメ口なんだ。」

今まで、そう納得出来る説明を受けた
ことがないのです。

だから、自分なりに考えてみました。

職員は家族か、
施設は家か。

●孫のように可愛がって貰っている

これは有力な「タメ口OK」説の論拠です。

この論拠の前提にある必須の条件は、

「職員が入居者を祖父母のように心から無条件で愛している」
「入居者の側は、職員が自分の生き様、辛さを100%理解しているとの信頼を寄せている」

このふたつです。

かなりハードルが高いですが、
「孫のように」「家族同様」をタメ口の正当性として使うなら他人から見て、本当の親戚家族にみえるくらいの関係性、距離感は必須です。

少なくてもベルテンポではそうです。
この人と一緒に死ぬなら本望。

そのくらい、思ってくれているか。
でなければ、私は恐れ多くてタメ口なんて使えません。

●命を預かっている

福祉施設の責任者の方から論拠として示される
ことはほとんどありませんが、
私が正当性を探す時に「命を預かっている」
という責任感がタメ口になるというのは、考えられます。

病院はどうでしょう。

近年、病院でも「ホテル並みの接客」をうたうところが増えて来たようですが、私は別に病院がホテルにならなくてもいいと思っています。

そして、私は病院の先生は患者に対して
「タメ口」でいいとすら思うのです。

異論、反論を承知で続けます。

病院は「命」を扱うところです。

緊急事態の連続です、笑顔の練習をしているヒマなど基本的にはない場所です。
牧歌的な場所ではありません。

医療には言葉遣いよりも優先される、
「プロの仕事」が求められています。

福祉施設も「命」を扱う場所です。

施設によっては、入居されている方がどんどん
旅立たれます。

家族が施設運営に理解ある方ばかりでもありません。

施設が入居者の「命」とどんなに真剣に向き合っても、疎遠になっている家族との温度差にせつない想いをすることもあります。

福祉施設だって、
キレイごとを言っている場合ではありません。

日々、事件が起きる現場に敬語、丁寧語は
いらない。これなら判ります。

●どう考えたら良いのか

バスドライバーさんの泉州弁が恐いのと同様に
「タメ口」を直すか、それとも認めるか
の議論は問題の本質ではないと考えています。

私が福祉施設の責任者なら、
「タメ口」は絶対に禁止とするでしょう。

サービス向上運動の一環ではなく、
リスクマネジメントの観点からです。

タメ口を、さまざまな理由をつけて
容認することを常態化すると、
長期的には必ずリスクを伴う弊害が起きます。

苦しみ抜いて、考え抜いて、辛い想いをしながらタメ口を使っているなら、プロとしてはOKです。

それがこの職業に置けるベストだと信じ切れているなら。

でも「楽だからそうしている」なら、即、言葉遣いを練習させるべきです。

「タメ口」に伴う長期的弊害はこのようなことです。

1 入居者を弱者だと決めつけてしまうクセがつく
2 入居者を上から目線でみるクセが付いてしまう
3 想い通りにいかないことがある時のストレス耐性がなくなる

プロとしての自覚を育てないまま、
タメ口が施設内に広がると、
プロ的自覚を持って仕事をしている人は良いのですが、
(自分をコントロール出来るので)

精神的に打たれ弱い、若い職員は、
入居者のコントロールが出来なくなった時、
逆ギレしたり、仕事でのトラブルを起こしたりするリスクが増大します。

それは本人の資質の問題でもあるのですが、
(それを許してしまう)環境にもあるのです。

論理の飛躍と言われそうですが、
施設内の虐待事件が報道される度に思うのです。

その根っこにあるものは、

「タメ口を許す、上から目線の文化を持つ
 施設だからなのではないか」

と。

福祉旅行、介護旅行も同じなのです。
旅行主催者側が、

「連れて行ってあげる」
「お風呂に入れてあげる」

という意識を持ってしまっていると、
お客様から何かクレームを言われた時、

「世話になっているのに、何だその言い草は!」

みたいな、情けない(けど、ありがちな)
話になってしまうのです。

真逆のことを言うなら、

口も悪いし、そっけない態度も取るけど
入浴介助をさせたら天下一品のヘルパーとか、
(いますね、こう言うおばちゃん)

あいさつひとつ出来ないし無口だけれど、
運転技術は惚れ惚れする送迎ドライバーとか、

そんなプロがもっと増えれば、
タメ口の是非などという議論には
ならないのかも知れません。

現場の大変さを知らない私が
批判を覚悟で発題させて頂いたのは、
バス会社やビアホールと違い、
福祉施設は利用者、家族が「タメ口」に
意見をしにくい風土があることを
知っておいて欲しいからです。

私のお客様も大勢の方が福祉サービスを
利用しています。

「タメ口」どう思いますか?

と聴くとみなさん、

「あんなに頑張ってよくやってくれているから
 それを言ったら可愛そうよ。」
「お世話になっているし、言えないわよ。」

この2つの意見に集約されます。
そう言われて、経営者がどう思うかです。

私だったら、こんな風に我慢されたら
せつないなあ。

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