共創メンバーで箱根湯本「豊栄荘」さんに足を運びました
20年前から経営者の勉強会「共創チーム」を主宰しています。
この勉強会を立ち上げるきっかけになったのが、箱根湯本の旅館豊栄荘の経営者、原さん。
原さんはお祖母さんが経営していた「豊栄荘」を継がずに、大学を出て設計事務所で働いていましたが、
ある時、戸塚の図書館でふと目に留まったのが、私が平成11年に世に送り出した「バリアフリーの旅を創る」だったそうです。
私の「バリアフリーの旅を創る」を読んだ原さんは「旅館を継いでもいいかな」と考えて、サラリーマンを辞め家業を引き受けることにしたそうです。なので、私には少々責任があるのです。
原さんとはあちこち、旅にもご一緒しました。
屋久島
ホノルルマラソン
そして、ブータン
原さんはブータンで感じた風を、ご自身の旅館に重ね合わせようとしていたのかも知れません。
20年以上のお付き合いですが、コロナもあったりして最近はすっかりご無沙汰をしていました。
そんなある日、いつもはつけないテレビを見ていたら、夜のニュースで「箱根の旅館が火災」との報道。(2024年5月9日)
まさかと思ってみたいたら見覚えのある玄関が炎に包まれています。頭の中が真っ白になるとはこのことです。
数日してから、意を決してお見舞いと何か手伝えることがあればとLINEをしました。返信不要ですと添えて。
どれくらいの時間が経ったでしょうか。原さんから電話がありました。元気な声を聞けてホッとして、膝が崩れ落ちそうになりました。
4ヶ月近く経ち、共創チームの仲間で呼びかけて原さんに会いに行くことにしました。早起きして「あさま」で東京へ向かいました。
佐久平7時過ぎの新幹線に乗るのか初めてでしたが、通勤客で結構、混んでいます。途中、軽井沢からドドっと乗って来て、安中榛名からも乗車があり、高崎や熊谷からも通勤客がかなり乗り込みます。
東京駅の雑踏もムリですが、新宿駅のカオスはもっとムリ。体がすっかり田舎モードです。インバウンドの巨大なスーツケースを引っ張る外国人でホームが溢れかえっていましたが、小田急ロマンスカー「はこね7号」で箱根湯本へ向かいます。この日はダイヤが乱れていて、箱根湯本には10分遅れとなりました。
何年振りだろう、
豊栄荘さんにお邪魔しました。
玄関、ロビー、フロントがあった棟は完全に焼け落ちていました。あれだけ激しく燃えたのに、「豊栄荘」の銘板は奇跡的に残っていました。テレビ報道では全焼と伝えられていましたが、焼け落ちたのは本館で、棟が別になっている棟は火が回っていませんでした。
改装工事をしていたスイートルームは無傷です。
改装中だったスイートルームからの眺めは最高です。この部屋は完成すれば大人気必至。
スイートルームのテラスからみた雉子亭。雉子亭も本館からは距離があったので無事でした。
雉子亭。
築400年の歴史は後世に残せました。
まだこれから大変だと思いますが、「ひとりじゃない」のでどんどん周りを頼って頂いて、より研ぎ澄まされた旅館になって帰って来て欲しいです。
原さん、またお会いしましょう。
ご一緒してくださった共創メンバーの皆さん、ありがとうございました。
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