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今も明日も決して当たり前じゃない

高校時代の友達が亡くなりました。
40代。
人生100年時代と言われる今、折り返し地点もまだ。

実は、今年の年賀状でその友達がステージ4の癌と診断され治療を始める、いうことが書かれていて、驚くやらショックやら、、
慌てて高校時代の友達とLINEグループを作りました。

そのライングループを通して、彼女は働きながらの癌治療の様子を私たちに知らせてくれていました。いろんな薬を試す様子、今の体の症状、それでも仕事をしながら前向きに治療を続けている、そんな様子を感じていました。
治療を始めた早い段階で思い切って髪の毛を剃りウィッグにしたこと、今回の薬は痛みが少ないこと、身体がむくんだり、感覚が過敏になっていること。
普段、それなりに健康に過ごしている私には、彼女の痛みや苦しさ、不安感や悲しみ、分かってあげられる部分は残念ながら少なかったと思います。

そんなやり取りが半年ほど過ぎた7月末、“両足の浮腫がひどく歩けなくなってしまったので救急車を呼んで病院に入院した、これから1週間は入院になる”とLINEのメッセージがありました。

LINEグループの私たちは、彼女が入院したという事に1つ安心していたところがありました。病院にいれば何かあっても先生たちが見てくれる、そんな安心感です。
一人暮らしをしていた彼女に何かあったら、今はそれぞれ遠方に住んでいる私たち、すぐに駆けつけることが出来ません。

そして1週間ちょっと過ぎた頃、そろそろ退院する頃かな?でも連絡ないな、と考えていた頃、彼女からLINEメッセージが届きました。

“姉が亡くなりました“と、彼女の弟さんからの発信でした。

容態の急変でした。
私たちの“今この瞬間“は決して当たり前ではない。

どうしても、“今“そして明日が自分にとっては当たり前のように思っていて、つい今の日常がこのまま続いていく、当たり前のように先のことを考えてしまっている自分がいます。

何年後に自分はどうなっていたい、何年後には子供は何歳になる、そんな先々のことを考えること、これがとても贅沢なことなのかもしれない、と切に感じました。

20年以上前の高校時代、その亡くなった友達そしてLINEグループの友達とテニス部で過ごしたあのキラキラした青春時代。コートにまだ立てず、コート脇でボール🎾拾いをしていた日々、朝練でコート整備をしていた日々、何周も何周も校舎の周りを走った日々、先輩の前で一芸を披露しなければいけなかった合宿。どれもこれも、ついこの間のように思い出されます。時代をワープして。そして、ひらすら切ない..

私の今もあなたの今も、決して当たり前ではない。
月並みではありますが、先のことを考える前にまずは“今”を大事に生きよう。そう考えさせてくれた彼女に、今はただ、ゆっくり休んでほしいと心から思います。

コロナ禍でお見舞いに行けなかった、それだけが本当に心残りです。

でも必ず会いに行くからね。
本当にお疲れさま。
ゆっくり休んでね。

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