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「いい写真」へのスタートライン

「この写真を撮るまでに、500枚は撮りました」
以前、写真講座を受けている時、参加者の一人の方が写真を見せながら、そうおっしゃった。

その方の写真は、すごく「いい写真」だった。女性が一人写っているモノクロのポートレートなのだけれど、憂いやせつなさ、やさしさ、あたたかな光が感じられ、素人の私が見ても一瞬で心を動かされるような魅力と深みがある写真だった。

その瞬間、「一枚の写真を撮るために500枚も撮り続けた」という情熱に、完全に降参してしまった。

私にはとてもじゃないが、500枚も撮り続けられる情熱はない、と。

それに、講座中何度も「写真というのは、こんなにも沢山のことを考えて撮られているのか」と驚くばかりだった。

その写真講座には、取材の時に写真を撮らなければならなくなり、参加したものだった。昔から写真を撮るのが嫌いで、どう撮ればいいのかも分からないというひどい状態にも関わらず、参加させて頂いた。

「その人にしか撮れない写真があるんですよ。撮り続けてくださいね」

その時、先生はそうおっしゃった。講座に参加している方々のとてもハイレベルだったが、先生も受講者の方も素人の私にも優しく接してくれたし、批判するような講座では一切なかった。むしろ逆に「一人一人がいい写真の意味を考え、撮っていきましょう」という講座だった。でも、私はすっかり打ちのめされてしまった。
自分の写真に自信が持てないまま「取材が伝わるのための写真」を精一杯撮るだけだった。

「いや、やっぱり写真だ。写真を撮るぞ!!!!」

急にそう思ったのは、一昨日のことだった。写真講座を受講してから、1年以上が経っていた。

文章を書き続けるにはどうしたらいいのか? と考えていて、「やっぱり写真が一緒に必要だ」という結論に至ったのだった。

キャッチの写真や、挿入の写真の世界観と、クォリティが文章にも影響すると。

「だから、自分で写真が撮りたい」
ようやくそう思えた。

自分の写真を撮るという覚悟が決まったら、心構えが全然違ってきた。

今までは、「見ている人が不快に思わず、取材の雰囲気が伝わったらいい」と必死になって撮ってきた。いつだって「誰か他の人が撮ってくれたらなぁ」と思っていたし、少しも自信がなかった。「誰か」の価値基準に判断をゆだね、自分自身の軸が全くなかった。

でも「自分で撮る」と決めたら、自分は何に心を動かされて、何を撮りたいのかを掘り下げたいと思うようになった。

カメラのファインダー越しに世界を追いかけて「これだ」と思う瞬間を撮りたい。自分の世界観を作り上げたい、と。

ようやく「自分にとってのいい写真」を撮るため心構えができた気がする。
1年以上たって、ようやく……。

ということで、「noteの写真を全部自分で撮ること」を目標に、楽しみたいと思います!

今回のキャッチの写真も自分で撮りました。
久しぶりにカメラを使ったらピントの合わせ方が分からず、うまいこと合わなかった写真はこちら……。
でも、結構気に入っています。

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