「いつか”面白い”にたどり着きたい」から「書くことで役に立ちたい」へ
「プロになりたいんでしょう?」
私は一時期、ライティングの勉強をしている時があった。その時に、何度かそう聞かれた。
そのたびに「いや、そんなつもりはないです」と答え「えぇ、なんで??」と驚かれた。
私が書く理由は、「18歳の自分に勝ちたいから」であり「いつか面白いにたどり着きたい」ということ。ただそれだけだった。
やさぐれていた中学時代
「全然何が言いたいか分からない。書き直して」
中学生のころ、私は頭の中にあることを書きたくて必死で作文用紙を埋めていた。宿題で出される作文、高校の志望動機の文章。足りない頭から言葉を絞り出して、自分の言葉で書こうとしていたのに、いつも先生には伝わらなかった。
私だって、そこまでバカではない。先生がどう書けば丸をくれるのかぐらいは、分かっていた。でも、そうじゃなくて、自分の言葉で書きたかったのだ。それなのに、全然伝わらなくて、私は自分の能力のなさを棚にあげて、すっかりやさぐれた。
「また書くのかよ」からの、衝撃
「えぇ~、またかよ~」
それなのに、高校生になっても作文をかかされることになった。正確には覚えていないけれど「高校生になっての抱負」とかだったと思う。「どうせ分かってもらえないし」と、やさぐれていた私は、当時好きだったバンドのボーカルが書いたコラムの真似をして書いた。
彼の文章は、最近私に衝撃を与えたところだった。たった800字程度の文章に広がるぶっとんだ世界観。教科書に書いてあるのと同じ日本語で、こんなに面白い文章が書けるものなのか……!! と興奮して何度も読んだあの文章を。
でも、担任の国語教師は予想に反し「めちゃくちゃ面白いな!!!」「いやー、本当に面白かったわ」と、なぜかすごく褒めてくれた。
……なんで?
私は混乱した。いつも褒められないのに、なんで?
そう思いながらも、私の中に静かな衝撃が走っていた。
「自分が面白いと思うものを、分かってくれる人がいるんだ」という、衝撃。
自分のことは誰からもわかってもらえないと、やさぐれていたのに、「自分が面白いものを書いてもいいんだ」という、世界が180度反転するような出来事が起こったのだ……!
それ以降、私は先生を少し疑いながらも、自分なりに書いて作文を提出した。
そして私が何か書くたびに先生は褒めてくれた。その先生以外からには相変わらず「ちゃんと書け」と言われたいけれども。
膨らみ続ける後悔
「書き続けていたら、いつか面白ものが書けると思うな。書き続けて欲しい」
高校を卒業するとき、先生はそう言った。
でも、私は書き続けなかった。
書くというのは、自分と向き合うことばかりだ。自分の浅ささが突き刺さり、「書かなくても生きていけるしなぁ」と、書くのをやめてしまったのだ。
でも「いつか面白いものにたどり着くために、書いていない自分」を、後悔する気持ちはずっとずっとついて回っていて、どんどん膨らみ続けた。
書いても書いても「面白い」にはたどり着けない
そして、30歳を過ぎてから、ライティングの勉強を始めた。
でも、書いても、書いても「面白い」は見えてこない。
一体いつ「面白い」にたどり着けるだろうと思う。
いや、私が書いた記事を見て、「面白い」と言われたことも「泣いた」と言われたことも、ある。「自分も書きたくなって同じライティングゼミを受けました」と言ってもらったこともある。
でも、18歳の私が先生に与えた「面白い」以上の「面白い」を与えられている気がしないのだ。
18歳のころみたいに「自分がめちゃくちゃ面白い」と思っているものを、書けたという手ごたえがないのだ。
一体いつになったら、私はあの頃の自分を超えられるのだろうか、と思う。
それでも、書かなくなったら「いつか」はこない。
だから、ずっと書き続けている。
それが今まで、自分が「書く理由」だった。
誰かの役に立つために書きたいに変わる
でも、書き続けるうちに「誰かの役に立ちたい」と思うようになった。書くことで誰かの役に立てたり、背中を押したり、共感できたり、感情を揺さぶったり、行動を促せるような文章が書けたらいいなぁと。
そう思うものの「自分にはそんな力はないし」と、また書かなくなったり、やってみたり、色々模索しているうちに、先日、背中を押される出来事があった。
「とにかく書いてみること。『書ける』って最強だとしたら、書き続けることで何か見えてくるかもしれない」
そう強烈に思ったのだ。
なので、今年はとにかくたくさん書いて更新しようと思っている。そして、書くことで誰かの役に立てるように。いつか「面白い」にたどり着けるように。
今日は、一粒万倍日。2020年で一番幸運な日で、何かを始めるのにとても良い日なのだそう。それにあやかって、今年も書き続けられますように。
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