美しいかどうか

『仮想空間シフト』を読んでから、独立研究者の山口周氏が気になって検索してみました。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』をはじめ多岐にわたる著書をお持ちの方であることがわかりました。

『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』も私の視野を広げてくれました。

『世界のエリートはなぜ、「美意識」を鍛えるのか」によると、私たちのように何をするにも根拠がないと判断できないサイエンス(現在)型は、決定までに時間がかかる上に似たり寄ったりの案しか出ないそうです。

これからは美意識を意思決定の基準とするアート(未来)型が良いとのこと。何を美しいと“感じる“かという直感がものをいうということでしょうか。確かに直感をもとに決定したら時間はかからないですよね。

さしづめ私たちが関わっている学校現場は、過去の失敗経験を繰り返さないように考えるクラフト(過去)型とサイエンス型が主流といったところでしょうか。長年の経験とそれにより培われてきた勘をベースにするか、様々な方法を分析した結果に基づいて意思決定することを時代や社会が学校教育に求めていたことによるものですから、学校関係者がどうのこうのという話ではありません。

社会においても学校現場においても一人でも多くの人のニーズを推測し、実施することで、最小限の労力で最大限の効果を得る。それを周囲に納得してもらえるよう、数字を使って人を説得する力が求められていた時代と言えると思います。

この時代は、“効率“の良さをアピールするために、相手が求めているものを敏感にキャッチする「空気が読める」能力が必須です。そして、この能力に課題があると「支援を要する子」というラベルが貼られることになります。

つまり、サイエンス型が主流の時代は、他人が決定権を握ることになります。常に、自分以外の人のことを考えていることから、サイエンス型の人は一見すごく謙虚な人のように聞こえますが、サイエンス型の人が得意とする数字を使って人を説得するという行為の裏に「私は数字を使いこなし、人をコントロールできる」という傲慢さがあるように思えます。山口氏は専門家としての能力を高めた結果物事を決めつけるようになったと表現しておられます。

対するアート型は、何となくこれでいいかなぁとフワッと意思決定するタイプだそうです。なんかいい加減な感じがして、一緒に働くとなると理解するのに時間がかかりそうですが、決定権が自分にあること、そして自分を受け入れてもらえるように伝える必要があることから、アート型には謙虚さと潔さを感じます。

『美意識を鍛える』にある不安定・不確実・複雑・曖昧な世の中で、教職員も子供も「矢印を自分に向ける」ことが必要と感じている私にとっては、学校現場にアート型が主流派になるのを待ちたいと思います。

それでは、美意識を鍛えるためにどうすればいいんでしょうか?山口氏は「見て・感じて・言葉にする」ことによって見えていなかったものを見えるようにすることだそうです。

ということで、コロナ禍が落ち着いたら美術館に行って見る力を鍛えようと思う単純な私でした。



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