美しいかどうか(2)

見る力を養うために美術館に行きたいなぁと考えている私の単純さを公開したところですが、美術館に展示される作品とどう向き合えば良いのでしょうか?

美術なら、山口つばささんが美大について描く『ブルーピリオド』(講談社)!

私の好きな登場人物佐伯先生は、主人公の八虎が描いた青い渋谷の街をこんなふうに評しておられます。「けど そんなこと矢口さんは知らなかった なのになぜ青を爽やかに見せる色を選べたか」「それはこの絵で表現したかったことが明確にあったから だから感覚的に選ぶことができた」(第1巻【二筆目】有意義な時間 から)

そっかぁ。美術館で作品を見るときは、まず添付されている情報に目を通すのではなく、自分の感性を頼りに作品のストーリーを自分勝手に考えてみよう。ちょっと美術館の敷居が低くなったかも。だって、八虎と同じ美大の予備校に通う橋田くんが「芸術は正しいかより 自分がどう感じたかのが大事やろ」と言ってます。(第2巻【六筆目】逆にピュアか から)この台詞が勇気をくれました。判断の基準は「正しいかどうか」じゃないってのがいいですよね。というのも、常々私は先生方に「正しいかどうかで人は動かない」と言っています。芸術も教育も生きるということも根底に流れているものは一緒なんだなぁなんて。

話がそれてしまいました。美術館で自分なりの作品に対するストーリーを紡ぐとき、表と裏どちらからも作品を観るようにしたい。表と裏ではなくく、美術の世界では光と影になるのか。八虎が二次試験でモデルのヌードを描く際、「絵を描く方法は大きく分けて2つ 『影描く』か『光を描く』か」と言っています。(第7巻【23筆目】こっから二次試験開始 から)多角的に鑑賞することで、この作品が光の視点と影の視点どちらで描かれているかを考慮してストーリーづくりをしたい。そうすれば、私が先生方に求めている「決めつけで子供をジャッジするのではなく、子供の行為の背景にあるものを見取ってほしい」をもっとうまく伝えられる気がします。

うん。『ブルーピリオド』読み返してみよう。そして、美術館でどんな作品展をやっているかちょっと探してみよう。本当は第7巻【27筆目】洗礼の中で花陰先輩が「絵がうまいってことは〜 目がいいってことでもあるからねぇ〜」と言っておられるので、見方を鍛えるために絵を描くのがいいのでしょうが、学生時代美術の成績が2だった私には描くというのはちょっと…

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