宇宙人の今後

たとえば、温厚な人たちの中に、私が入るとうまくいかない。ふざけ過ぎてしまったり、怒り過ぎてしまったり、自分ばかりが話し過ぎてしまったり、甘え過ぎてしまったり、いつも「度を超した」ことに気づけない。
私には「居場所クラッシャー」の素質が充分にあった。

たったひとことで怒りを買い、温厚だったクラス中の女の子から無視されてようやく思い知るのは、それまでどれほど我慢させてきたか。それまでどれだけの無神経な言動を許されていたのか。

以降、教室に入るときに動悸が早くなった。休み時間などのスキマで何をやらかして嫌われるか分からない。意見を持たぬ、愛想笑いの達人になった。
しかしいくらうまくギタイしても周囲の嗅覚はするどく、どこにいっても「宇宙人」とアダ名がついた。

ある日、友人に「私の居場所がこの世のどこにもない気がしてる」と打ち明けたら、彼女は「生まれた時から誰にでもあるものだよ」と事も無げに答えた。そのときの衝撃を、もう20年も経つのに覚えている。
居場所もなにも、どうやら住んでいる世界が違ったらしいことを知った瞬間だった。
誰とどこにいても、私は宇宙人だった。

最近のゼミで、これを「文化の違い」と教わった。
「外国の人に、発音合わせろとか、はしの持ち方は絶対こうとか押し付けないですよね。
自閉症の特性を文化として理解していれば、全く難しいことじゃないと思うんです」

発達障害を学ぶゼミに通うと「私もなんです」「うちの子も…」という方に何人も出会うことができて、
同じ星の人が実在するんだ!という喜び、安心感、懐かしさ、なんと呼んでいいかわからない。
自分が孤独の星の人ではないという嬉しさは、いままでのなにより私を肯定させた。

そして、同じ星の人が今まさにやらかすというような現場を目撃して、そこで客観視して初めて学ぶこともある。

今まで居場所をクラッシュさせてきたのは、自分や他人への分析の不足、自分の文化の自己紹介の不足が原因だったんじゃないか。
「私は他の人とは違う」という気持ちで自我を保っていたけれど、多くの人の中にいて孤独、というのが、私の中ではなにより一番つらいことだってことにも気がついた。
理解してもらえるために行動することの大事さは、宇宙人でなくても同じだった。

居場所にたどり着いたからOK、ではない。
居場所は居続けたい場所のことだ。
「定型」と呼ばれる人たちのことと、「宇宙人」と呼ばれてきた自分自身のことをもっと知りたいと思っている。

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