息子のひげ

動物と縁のない人生を送るのだと思っていたが、縁は突然できるものらしい。代表のお宅には保護犬がおり、遊び場で気ままに振る舞う姿にやられてしまった。会うたび吠えられたが、絶対に仲良くなるぞと躍起になって毎日通った。

そのうち吠えられることが減り、おやつを受け取ってもらえることも増え、仲良くなれたかなと気にするうち、どこからか保護猫もやってきた。幸せなことに犬猫を観察できる機会が増えた。

見つめ続けてふと、猫にも犬にも、ひげがあることに気づいた。そしてそれは思ったより太く長い。
「それがセンサーなんだよ」と教えてもらった。たとえ夜に目が効かなくても、距離をそれで測るらしかった。衝突を避けるため、ひげだけじゃなく、体中にいくつものセンサーがあるのだそうだ。

息子はひげのない猫かもしれないと思った。
そこかしこにぶつかっては何かをこぼし、ものを壊し、そうなれば当然怒られて、本人は何を叱られてるのかもわからずパニックを起こす。
私たちを見る他の子の、お母さんたちの白い目。
焦りが一因となり、息子が幼児のとき、私は公園恐怖症になった。

ぶつかって、ぶつかられて、嫌われて、ようやく距離を学ぶのだとしたら、これはとても遠回りで辛いことに違いない。
このままでは大変なことになるのではないか、どうにかひげを生やせないかと悩んでいたが、学びを繰り返していく中で「生えない」のだと知ったとき、他にできることを探したくなった。

冒険遊び場に行った時、代表から「ここで見ていてごらん」と言われたことで、
半信半疑ながら、ただただ見ていることを始めた。

ぶつかって謝らないことで他の子を怒らす、そんなシーンを、いくつも見た。
殴られて泣くところもたくさん見た。
怒鳴らず慰めず駆け寄らず、ただ見ていた。

泣きながらこちらに歩いて来たときには抱きしめた。
「あいつが全部悪いんだよ!あいつ、最低最悪クソ野郎!もう二度と遊ばないっ!」
「それがいいよ、ここにいたらいいよ」
散々ぱら罵倒して、1分経たないうちに、それでも息子は子どもの中に戻っていくのだった。

どういうわけか、30秒も仲良く遊べなかった男の子と、笑顔で過ごす時間が1分に増えた。また喧嘩。距離を置き、笑顔が増え…
遊び場で一年、毎日飽きもせずそれを繰り返した息子は、いつの間にか、「距離」と「謝罪」と「自信」までもを獲得していった。

ひげは生えない。生やしてやることはできない。私がひげになることもできない。どんなに願ったって、生きづらさはもらってやれない…心苦しく思っていた。

けれど、当の息子が悩んでるのは全く別のことで、その悩みの中では、私はそれこそ本当に無力だった。 

息子ははじめから、ひげなんか、これっぽっちも欲しがっていなかった。

情けないような気もするけど、親の私が無力なことに見切りをつけ、自分で生きてくことを決めたんだとしたら、息子にとっては、私が無力でちょうどよかったかもしれない。
私はいらんひげを生やそうとする親にならずに済んだ、それだけでラッキーだったと思いたい。

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