人間は愛なしでは生きていけない生き物
信仰持つまでの私は、人との繋がりを保ちたいと思っていました。
一人になることを恐れ、嫌われないように振る舞い、形式的でもいいから繋がりを保とうと必死でした。
仕事では、敵を作らないように振る舞い、懇親会でいい人を振る舞う。
仕事を優先していたため、平日に家族と顔を合わせることはなかった、でもその代わり、休日に外食をして繋がりを保つ。
友人はいても本当に心を許せる相手はおらず、お酒を飲みに行き、適当な会話をして友人との繋がりを保つ。
そんな形式的な人間関係を気づいていました。
職場でも、家族も、友人も、本当に心を許せる相手はいませんでした。
でも、繋がりを保ちたいと思っていました。
先日の神様の言葉(御言葉)で、その理由を教えて下さいました。
この御言葉の中で、
「人間は愛の本体である神様が創造されたものなので、愛を求めている。」
「愛なしでは生きられないようになっている。」
と教えて下さいました。
私は、愛には無頓着でしたが、ずっと心のどこかで愛を求めていたのだとわかりました。
また、
「人間からの愛は完全ではない、瞬間的に燃えてもすぐに冷める、期待通りの愛は返ってこない。」
「だから、愛の本体である神様の愛を受けないとまともに生きていけない。」
とも、教えて下さいました。
実際に思い返してみると、信仰を持つようになってから、神様様々な形で愛を注いでくださっていたことがわかります。
最初は望み通りに事が進まなかったとしても、後から考えると本当に必要なものを与えて下さっていたということがわかります。
例えば、コロナ過の時は、経済が冷え込み影響がありました。
でも、そのコロナを通じ、在宅勤務ができるように導いて下さり、聖書を読む時間を確保しやすくなりました。
それにより神様をより近くに感じやすくなりました。
また、霊的に辛くて仕事を辞めようと決意した2024年の冬も、いろいろなことが起きて、最善の道を示してくださいました。
辛かった管理職の仕事を行わずに済む立場に変えて下さり、給料は増え、経済・時間・心の余裕も与えて下さいました。
人間だと表面的な愛でいろんなものを与え合うことはあります。
でも、それは、本当に自分が望んでいることでなかったり、結果的に悪くなったり、どこか虚しさを感じたりしてしまいます。
神様は完全な愛をお持ちなので、私たちに本当に必要なことをわかって与えて下さいます。
それは、物質や時間(肉的なもの)などであったり、心(霊的なもの)であったりしています。
そんな神様の愛を、多くの人にわかってもらえたらいいなと思っています。
全世界の人が神様の愛を知り、神様のような深い愛で満ち、神様と兄弟姉妹とともに、愛の関係を築いていけることを心よりお祈り申し上げます。
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