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最近の小話。

先日、とある万華鏡作家の方の展覧会に
ふらっと立ち寄りました。

改めて、万華鏡っていいもんですね。

Bunkamura 30周年記念 万華鏡2019「第一回全国公募展」

に足を運んだこともあるし
(今年もあるらしいのでわくわく)
いつかは伊東にある、
世界一大きな万華鏡が自慢の
アトリエロッキー万華鏡館に
行ってみたい程度には
昔から好きなんですが。

10分ほど覗けば瞑想するのと
同じような効果があるとかないとか
(作家さん談)

思えば万華鏡も本当の良さは
直接手に取って覗いてみなければ
味わえないという意味では
アコースティックな音楽と似ているかも。

万華鏡の中身だけを撮影し
エンドレスで流す映像も良いけれど
やっぱりあの穴を覗き込んで観る
自分だけの小宇宙に
没入していくというプロセスが
万華鏡最大の魅力だと
思うんですよねぇ。

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ひとつ前の記事にも
ちょろっと書いたんですが、
最近興味を持って
調べ始めたことがあって。

ルネサンス~バロックあたりの
作曲家に触れる機会が
多々あるんですが、
この時代の音楽について
理解を深める為には




後世の視点から見たバロック前夜
=対位法的な音楽



という日和見的な見方ではなく、

むしろ数学者や哲学者らの
手の中にあった音楽というものが
芸術的価値を獲得していくにあたり
徐々に和声的な色彩を縦軸で
捉えるようになっていったという
当時の視点が必要不可欠なのではないか、

有史が後天的に獲得していった
ハーモニーや音律の価値観を
一度取っ払って
真新しい気持ちで
音楽に触れるべきなのではないか


というような事を
考え始めている今日この頃。

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ピアノが音楽の入口で、
作曲科に入る時も
日本の主流のメソッドになっている
フランス式和声法(シャランとかね)や
学習追奏曲を申し訳程度に触れた程度では
(当時は私も師匠たちも必死だったけど)
やはり鍵盤によりある程度定義されている

“音程の呪縛”

からは
なかなか解放されないのだな…
と痛感する。

それでもラッキーなことに、
エクリチュールを学習する
わりと初期段階で
ヴァイオリンと出会い、
鍵盤による音程の呪縛からの脱却に
意識が向くようになっていたおかげで
いくぶんか柔軟にはなったし

定められた鍵盤の幅の中でも
なるべく弾き方によって音の幅が
音楽の文脈に沿って異なるように
弾き分ける意識は持つようになり
今に至るわけなんですけども、

言うてよほど古楽に
特価した演奏家でもない限り、
ピアノ弾きが触れる作曲家ってせいぜい
バッハ
スカルラッティ
ラモー
クープラン
あたりぐらいなんですよね。

それも後者2人に触れるのは
かなり関心のある人という印象。

まるで起源前・起源後のように
取り扱われている風潮があり、
例に漏れず*凹も
前者2人にしか触れて来なかったため、
バッハよりもさらに
約100年ほど時代を遡った頃の作曲家
シュッツの音楽を演奏

それもアカペラにうす~く重ねるように
演奏するとなると

“均等に狂わせた”

でお馴染み
平均律というルールに則った
ピアノという楽器は
いつも以上に相当繊細に
一音一音弾き分ける必要があるうえ、

音楽が書かれているルールも
バッハの音楽と比べると
現代の感覚からはやはり遠く感じ
戸惑いを覚えるし
一見素直に見える譜面でも
なかなか読み込むのは容易ではない。

だけど、読み込む為の素養が
少しずつ身についていく度
確かに感じる音楽的な旨味。

他の領域と
交わりにくい分野に位置する作曲家に
目を向けることが
今の自分のピアノ演奏や
歌とのアンサンブルの
活動をしていくうえで
糧になっていく気がしていて
いくつか書籍を読み漁ったり
オンライン講座を受けられそうな機会を
探っていたりします。
(こんないい講座があるよという方は
是非教えてください‼︎)

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あと、最近の関心事でいうと。

従来のような
お客さんを招いての
演奏会スタイルの維持が困難な中
安易な形で配信にすがることに
割と懐疑的なんですが
(それでもやってみる人達を
批難するつもりもないし
やってない自分に
その資格もないとは思っている)

生に拘らずとも
楽曲そのものの魅力であれば
ある程度伝えられる形が
あるのではないか?と
表現表出方法を画策中です。。。

具体的なお話は個人的に連絡して
相談なりプレゼンなりしようと思っています。


…さて、ドイツリート
アリアの対訳を作成せねば。
ではまた。

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